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立川談春の名演と柳家三三の「粗忽の釘」“たっぷり“〜「俺たちの圓朝を聴け!」第三部(その2)

(承前)

お峰を殺した伴蔵は、巧みな芝居で嫌疑を免れ、妻を追い剥ぎに殺された悲劇の主人として、引き続き関口屋を営む。ところが、奉公人が病の床につき、奇妙なうわ言を言い出す。その内容は、伴蔵が新三郎を死に追いやった顛末である。

ちょうど良い塩梅に栗橋宿にやって来た医者が名医と言うので会ってみると、江戸で見知っていた山本志丈。名医どころか、一癖も二癖もあるヤブ医者で、江戸でしくじり流れて来たのである。自分と同じ悪の匂いを伴蔵に感じた志丈は、彼が抱えた秘密を聞き出すことに成功する。伴蔵の口から出た真実とは。。。

圓朝の速記本(「怪談 牡丹灯籠」岩波文庫)にはこう書かれている。<伴蔵「実は幽霊に頼まれたと云うのも、萩原様のああ云う怪しい姿で死んだというのも、いろいろ訳があって皆私が拵えた事、というのは私が萩原様の肋を蹴て殺しておいて、こっそりと新幡髄院の墓場へ忍び、新塚を掘り起こし、骸骨を取り出し(後略)」>

つまり、「牡丹灯籠」という階段の中でもハイライトである、第二部で口演された「お札はがし」は、友蔵の作り話だとするのである。

大円朝はなぜこんな「謎」を提示したのか、幽霊からせしめたとした百両という金はどこから出て来たのか。月刊「東京かわら版」の連載「落語の巧味」で木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一が今年の9/10月号で、この「謎」解明を試みているので、詳しく知りたい方はご参照を。

この「謎」について、現代の演者はどう対応しているのか。「圓生百席」で、三遊亭圓生は百両を稼ぐ仕事は別にあったとし、「お札はがし」は作り話と速記本を踏襲している。さらっと流しているので、私は何度か聴くまでこのポイントに気がつかなかった。さて、談春はこの「謎」をどうするのか。この場面を注目して待っていたが、結果は圓生とほぼ同様だった。やはりあっさりと語るので、「謎」と気づかない観客は多いと思うが、考えれば考えるほど矛盾が生じ「謎」である。

なぜ大圓朝は、怪談話を“ちゃぶ台返し“したのか。あるいは、伴蔵の告白は本当に真実なのか。木ノ下氏は前述の連載で<円朝からの挑戦状だと解釈してみたい>と書いている。

この後、「笹屋」の酌婦お国の夫、宮野辺源次郎という浪人者が伴蔵を訪ねてくる。お国との不義密通を咎め、越後までの路銀百両を融通しろと要求する。「関口屋のゆすり」である。

これを追い返す伴蔵の啖呵が好きである。自分は‘はいそうですか‘と金を出すような人間ではない。筋金入りの悪党だと、<伴蔵「(前略)十一の時から狂い出して、抜け参りから江戸へ流れ、悪いという悪い事は二三の水出し、やらずの最中、>(速記本より)と歌舞伎さながらのセリフを繰り出す。ほとんどの観客は言葉の意味は分からないが、その名調子に酔う。また、この伴蔵のキャラクターが、談春の“イメージ“(あくまでも“イメージ“です)とぴったり来るのだ。こうして談春の名演は終了した。

なお、“二三の水出し“、“やらずの最中“共、香具師などが行うイカサマ賭博である。岩波文庫には解説が書かれており、「圓生百席」では“芸談“で圓生が説明している。

客席は前後半と聞き続け肩に力が入った状態で、最後の一席、柳家三三はどうするのか。あわてものに関する典型的な落語の“まくら“から、入ったのは「粗忽の釘」。これが、名手が「粗忽の釘」を“たっぷり“演じるとこうなるのかと思わせる熱演で、客席は平時の落語モードに入り爆笑の連続。

最後に“ごあいさつ“で登場した二人、談春は三三に「お前、あんな『お峰殺し』やった後に、よくあれができるね」と感心していた。一方自身は、15分で「紙入れ」ができるようになったと自賛。三三は、「兄さんいつでも寄席に出れるよ」と促していた。

孤高の道を歩み、三三を引っ張り込もうとする談春。二人のコラボレーションをもっと見たい。

なお、談春の2024年は、芸歴40周年記念興行として、この有楽町朝日ホールで月2回(ネタ出し2席プラス1、来年1月は13日「明烏」「ねずみ穴」、27日「白井権八」「包丁」。2月は3日「夢金」「御神酒徳利」、24日「よかちょろ」「文七元結」)の独演会を毎月開催する。孤高の道である

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