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1976年の原田美枝子〜長谷川和彦監督「青春の殺人者」

「ちむどんどん」の良かった点を書いたが、その半分は原田美枝子讃歌だった。そのせいで、彼女の出世作の一つ「青春の殺人者」を見返したくなった。恐らく40数年ぶりだろう、配信で観た

凄い映画だった。舞台は成田である。忘却の彼方に消えているが、成田空港建設に対しての反対運動というものがあった。あさま山荘事件を経て、新左翼らの、国内における最後の“戦い“の場が成田だったように思う。成田空港の開港は1978年である。

この成田闘争の空気が、ドラマの中にそこはかとなく漂う。斉木順(水谷豊24歳)とケイ子(原田美枝子17歳)の若い二人は、そんな成田でスナックを営む。ただし、彼らも何かと闘っている。

ここからは、映画の内容に少し踏み込みます。

映画の冒頭から登場する原田美枝子の印象は強烈である。左耳が聞こえない理由について話すケイ子、そのことは、映画の中で重要な位置を占める。そして彼女と順の間に発生する化学反応。原田美枝子の登場シーンはさほど長くはなく、その後はしばらくスクリーンに現れないのだが、その残像が映画のバックグラウンドとして意識され続ける。

持ち去られた車を取り返すべく、実家の自動車工場に向かう順だが、その姿が見つかり両親に屋内へと導かれる。そこで、父親(内田良平)が話すのはケイ子の素性、そして順に彼女と別れるように諭す。この場面で、父親はスイカを振る舞うのだが、食卓の上にまな板を置き、スイカを包丁で切る。スイカの赤と、包丁がその後に起こる事件を暗示する素晴らしいショットである。

順は父親を刺殺してしまい、母(市原悦子)は血まみれの主人の姿を見る。ここからの市原悦子の演技が狂気をはらんで壮絶である。自首しようとする息子・順を押しとどめ、息子の罪を隠そうとする。水谷豊の臆病な狂気と、市原悦子が演じる女の強さと弱さが交錯していく。

そして、映画の後半は順とケイ子、水谷と原田の物語へと移っていくのだが、先日自死したゴダールを想起させるようなタッチもうかがえる。彼らのスナックで結婚披露宴の打ち合わせを予定した友人が、江藤潤と桃井かおり、披露宴の司会をするのが地井武男。彼らが学生時代に桃井を主演に8ミリ映画を撮っており、その映像が劇中劇的に流されるのだが、これが何とも言えず胸に刺さる。

英語の曲が印象的で、一体どこのバンドだろうと思っていたのだが、鑑賞後確認するとゴダイゴだった。

これ以上、感想を書くことはしないが、素晴らしい映画だった。ただし、決して気持ち良く見られる映画ではないと断っておこう。なお、1974年に千葉県市川市で、結婚を反対された息子が両親を殺害する事件が起きた。中上健次はこの出来事をもとに、「蛇淫」という短編小説を発表しており、それがこの映画の原作となっている。

本作は、長谷川和彦の処女監督作品。第50回(1976年度)のキネマ旬報日本映画ベスト・テンの1位。監督賞、脚本賞、最優秀主演男女優賞を水谷・原田が受賞している。長谷川は、この後、1979年度に沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」で同ベストの2位に輝くが、その後は、映画を世に出していない。「青春の殺人者」及びその後についてのインタビューを発見した。

文藝春秋の10月号には、原田美枝子の“「百花」黒澤明と増村保造の教え“と題した記事が掲載されている。1976年、彼女は「青春の殺人者」と増村保造監督の「大地の子守歌」(同ベストで3位)に主演している。キネマ旬報の主演女優賞は両作の演技に対して与えられており、ブルーリボン賞の新人賞も同様である。

この記事で、原田美枝子は「大地の子守歌」や「乱」については語っているが、「青春の殺人者」については全く触れていない。前述のインタビューで、長谷川監督は、<美枝子は映画を見たことがないって言ってて、それほど嫌いなのかと傷ついたけど、そういう年の美枝子の女の子のありようは不思議で、それが映画にも出ていると思うな>とコメントしている。

原田美枝子が見たくなかったのも、なんだか分かる、そんな凄まじい映画である


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