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10年後の貞山襲名に向けた門出〜一龍斎貞鏡真打披露興行

神田松之丞〜神田伯山をきっかけに、少しずつではあるが講談を聞き始めた。それでも、伯山の独演会、師匠の神田松鯉が主任を務める寄席興行程度で、なかなか広げられないでいる。それでも、ちょっと気になる講釈師も出てきた。

その一人が七代目一龍斎貞鏡。3月の浅草演芸ホール、女性芸人だけの興行で高座を体験し、いたく感心した。

その彼女がこの10月に真打に昇進、現在披露興行を開いているということで、11月17日講談協会の定席、お江戸日本橋亭での一龍斎貞鏡真打昇進披露興行を観てきた。講談会には行っているが、協会の定席は初めてである。(ということで、演目は間違いがあるかもしれません)

なお、「“講談“?興味ないなぁ」と思ったあなた、これを読む必要はないので、貼り付けてあるYouTubeの披露パーティーだけでも見てはいかがでしょうか。寄席芸人の楽しい世界が垣間見られます。

貞鏡の父は八代目一龍斎貞山、祖父は怪談話を得意とし“お化けの貞山“と言われた七代目貞山で、私も知識として知っている。父の八代目貞山は、七代目没後、六代目神田伯龍の養子となったので、伯龍は貞鏡の義祖父にあたる。要は講談界のサラブレッドである。

寄席における披露目同様、後ろ幕が張られ、名前が書かれた招木(まねき)が飾られた華やかな舞台である。前座に続いて上がった神田山緑は2006年の入門。2年後に貞鏡が入ってきたら、先輩先生方の前座に対する扱い方が優しくなっっと言う。そりゃぁ、先生方にとっても貞山先生の可愛い娘さんだっただろう。

山緑「山内一豊〜出世の馬揃い」、田ノ中星之助「金のかんざし(ゴードン・スミス作)」、田辺凌鶴「一心太助〜旗本との喧嘩」と続き、高座に上がった田辺一邑(いちゆう)。故田辺一鶴(この先生はテレビによく出ていて、子供心に講釈師という存在を初めて知った人)の弟子、女流である。

一邑は八代目貞山のもとに弟子志願に行ったが断られ、一鶴の弟子となった。貞鏡の父、貞山は「講談は男が作り上げてきた伝統文化」という考えで女性の弟子は取らなかった。それが、娘がやりたいとなるとあっさり弟子に取る。もしかしたら、娘に姉弟子を作りたくなかったのでは?


一邑「水戸黄門漫遊記〜子供鉢の木」、続いて宝井琴柳は貞鏡について「軍談を演じてくれるのが嬉しい」と話した。この後の高座で貞鏡は、この日の演目「三方ヶ原軍記」を琴柳から“厳しく“教わったと話していた。琴柳の演目は「野狐三次〜木っ端売り」、三次が子供の頃に木っ端〜木屑を売って家計を支える親孝行の話。父親亡き後も精進、真打昇進となった貞鏡へのはなむけだろうか。

中入り後の口上を聞くと、八代目貞山に対する尊敬の念、そして貞鏡への期待がひしひしと伝わってくる。貞山亡き後、師事した一龍斎貞花は「父親の十三回忌つまり、2033年には貞山襲名。それに向けて精進するように」とエールを送った。

貞花は「髪結新三〜永代橋の場」。続きが聴きたいと思わせる芸は流石で、講談の音は持っていなかったので、後日に五街道雲助の落語で結末まで味わった。

貞鏡は「三方ヶ原軍記〜土屋三つ石畳の由来」。三方ヶ原の戦いは、武田信玄と徳川・織田との間で繰り広げられた戦いだが、講談師が入門して最初に稽古する演目の一つである。

貞鏡は、まず形が良い。すらっとした座り姿と、キリッとした顔立ち。アルトの声が心地よく、またよく響く。口跡・調子の良さが聞くものを酔わせてくれる。演目は滑稽なまでに意地を張り合う二人の武士の姿から、仲は良くないが武士としての気脈は通じ合う様子を描く。互いを尊敬する気持ちが、戦国時代のいくさ場で発現する。そして、それを讃える敵方の土屋氏。講談らしい美談である。

物語のクライマックス、合戦の場面の“修羅場調子(ひらばちょうし)“は、これぞ講談ということで、見事に決めてくれた。

終演後、観客を見送る貞鏡と貞花先生。貞鏡を、そして講談を応援しようという気持ちになる。

やはり、どの世界もスターの誕生が重要である。神田伯山、そして貞鏡。華のある講釈師が出現している。

10年後の貞山襲名に向けて、貞鏡の今後を期待して見つめよう


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