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「大曽根家の朝」〜大女優杉村春子の演技に戦後の“朝(あした)“を感じる

昨年10月以来の小林信彦「日本映画ベスト50」クエスト。まだ続いている。(前回はこちら)

今回は「大曽根家の朝(あした)」(松竹大船)、松竹のサイトによると1946年2月21日公開である。戦後すぐであり、GHQの民主化政策にも呼応した作品である。(U-NEXTで配信あり)

監督は木下惠介、主演は杉村春子。本作品は、キネマ旬報のベストテンで1位に輝いた。

昭和18年、雪の降る夜、大曽根家の洋館のクリスマスの飾りがほどこされた室内、ピアノの伴奏で家族が歌を唄っている。カメラの目線が移動すると、一人の男性の出征も祝われていることがわかる。ピアノを弾くのは、軍人だった夫を亡くした大曽根房子、演じるのが杉村春子である。

冒頭に提示されるのは“西洋文化“であり、戦争によってそれが変化を余儀なくされることを描いていく。

“戦争“の象徴的存在が、房子の義弟、亡兄同様軍人の大曽根一誠。演じる小沢栄太郎が憎々しく、その妻役の賀原夏子がさらにそれを増幅させる。

杉村春子を長とする“民主主義“的な大曽根家と、それに対峙する軍部を象徴する叔父、この関係が軸になり映画は展開していく。

杉村春子という昭和を代表する大女優、残念ながら舞台を観ることはかなわなかったが、昔の映画で彼女の凄さを確認している。「大曽根家の朝」も、杉村春子の凄さを見せてくれた。

GHQがなんと言おうと、戦争と一般市民との関係は常に認識を新たにすべきことである。その方法は、様々なアプローチがあり、ハードなものだけではない。「大曽根家の朝」のように、戦闘場面を描くことなく被害者の気持ちを描くことによる方法もある。

ただし、その為には杉村春子のような女優の存在がなくてはならない。彼女の舞台を観なかったことを後悔しているが、映画にはしっかり記憶されており、それは今でも観られる。

大女優の演技を通じて、“朝“のような戦後の空気を感じる、「大曽根家の朝」はそんな映画のように思う。

ちなみに、小林信彦は、<軍部への怒りを木下惠介が爆発させた〜(中略)〜傑作>と書いている


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