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旅の記憶24〜斉須政雄「十皿の料理」とパリ(その1)

去年のことのようですが、NHKの番組「理想的本箱 君だけのブックガイド」という番組で、斉須政雄さんが書いた「十皿の料理」が紹介されていたようです。“ようです”というのは、私はこの番組を観ておらず、書籍の広告で知ったからです。その時の番組のテーマは、“将来が見えない時に読む本”、3冊の中の1つ、<「手に取った仕事を自分の理想に近づけていった」シェフの自叙伝>として放送されています。

私の本棚には、この本が長く置かれています。表紙が少々汚れた一冊を取り出し、奥付を見ると、<一九九二年二月十日第一刷発行>とありました。

著者の斉須さんは1973年にフランスに渡り、いくつかのレストランで働き、帰国後の1986年、東京の三田にレストラン「コート・ドール」を開きます。この本は、こうした料理人人生の中で、自身の代表的な料理として選んだ十皿が紹介され、後半第二章では、彼のフランス時代の話が書かれています。

私が斉須さんの名前を知ったのは、1980年代前半、山本益博さんが書いていたフランスのレストランの話の中でした。当時パリに彗星のごとく登場したレストランとして絶賛されていたのが、「ランブロワジー」。<シンプルな内装の小体な店だが、素晴らしい料理を出す。シェフは、ベルナール・パコーだが、その右腕として日本人の斉須政雄氏が活躍している>といった内容だったと思います。

「十皿の料理」によると、斉須さんは1973年渡仏、いくつかのレストランを経て、1978年から1年間、ヌーベル・キュイジーヌの旗手、クロード・ペローの「ヴィヴァロワ」で働きます。斉須さんは、パリのその店を<僕の理想郷です>、<あたたかさ、品格、ヴィヴァロワは僕の骨格を作ってくれました>、紹介されている十皿は<すべてヴィヴァロワの精神が宿っている>と書いています。

その店で出会ったのが、ベルナール・パコー。ベルナールは斉須さんに、いつか店を出すので、その時は一緒にやろうと話します、<ヴィヴァロワの厨房で僕たちはこんな夢を見ていました>。

そうして、1981年5月、ベルナール・パコーは「ランブロワジー」を開店、厨房はベルナールと斉須さんの二人で切り盛りします。「ランブロワジー」での4年間を、斉須さんはわずか2ページほどで書いていますが、何度読んでも感動します。

三十代の若い二人、サービスを司るマダム・パコーらが、必死で店を切り盛りします。<あのころ僕たちは本当に熱かった>と斉須さんは書いています。「ランブロワジー」は開店1年足らずでミシュランの一つ星を獲得、次の年には二つ星が取れて、<僕たちは本当に大喜びした>。そして、ベルナールからは、<料理は技術よりも人格なのだと教えられました>。

「ヴィヴァロワ」で学び、「ランブロワジー」でベルナールと共に苦心し、そして自分の店を開き、斉須さんだけのものにしていった料理、それが「十皿の料理」です。

1986年5月、私は結婚するのですが、新婚旅行の行き先はパリです。上述のような詳しいことはもちろん知りませんでしたが、目的の先の一つは「ランブロワジー」でした。

続く








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