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やっと観た名作「大いなる幻影」〜地続きの空間における戦争

ずっと長い間、観なければと思いながら、実現していない映画がいくつかある。今回の小林信彦「わが洋画・邦画ベスト100」のような企画に触れると、「あっ、そうだそうだ」というものがいくつか出てくる。

そして、ようやく観たのがジャン・ルノアール監督「大いなる幻影」、1937年のフランス映画、反戦映画の名作である。戦争映画とは言っても、戦闘シーンは出てこない。

1937年はどういう年だったか。スペイン内戦で、ナチス・ドイツがバスク地方のゲルニカを空爆する。盧溝橋事件を発端に日中戦争が勃発、日独伊防共協定が成立。戦争の足音が大きくなり出している時代である。

舞台は第一次大戦下、ドイツ軍の捕虜収容所。捕虜となり、この収容所に入れられるフランス軍人の一人を演じるのが、ジャン・ギャバン。捕虜収容所と言っても、その雰囲気は一般の日本人が想像するものとは全く違う。受け入れるドイツ軍側は友好的であり、入所するフランス人を始めとする捕虜たちにも悲壮感のかけらもない。「生きて虜囚の辱めを受けず」などという戦陣訓とは、真逆の世界である。

先日の馬庭教二著「ナチス映画史」紹介において、欧米の戦争関連映画と日本のそれとの違いとして、<欧州大陸という地続きの同一空間上>で、物語が展開されることを挙げた。この映画は、まさにそれである。

個々の人間のレベルにおいては、戦争前の昨日まで、そして戦争後の明日からも、地続きの空間で生活を共有してきた。そこには、尊敬・友情・愛情といった、敵味方という枠組みでは割り切れない関係が存在しうる。この映画においては、前述のジャン・ギャバン、彼と共に捕虜になるフランス人、それを管理するドイツ人将校、そして市井のドイツ人女性らの間で、地続きの戦争における個人が描かれる。

戦争という現実は、そうした個人レベルで培った関係性を踏みにじるものである。そんな戦争は過去のものになったと勘違いしていたが、現在ウクライナ/ロシアで起こっていることは、まさしくそれである。

邦題「大いなる幻影」は原題「La Grande illusion」に忠実である。 “幻影”とは何か、

映画のラスト、ジャン・ギャバンは同僚ローゼンタールにこう語る;

「戦争などさっさと終わらせればいいんだ これを最後に」

ローゼンタールは応える;

「それは幻影だ」

この後、現実世界は第二次大戦の戦火に再び見舞われる。その戦争は、この映画で描かれているような、互いに尊敬し合う職業軍人の戦争から、一般市民をより大きく巻き込むものとなってしまう。そして、個人はより深く傷つく。

戦争を終わらせること、それはやはり「幻影」なのだろうか。

今日は、広島原爆投下から77年、ウクライナでは戦争が続き、台湾周辺は騒がしい


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