ずっと書けなかったイベント〜松任谷由実「深海の街」ツアー(その1)
ここで書いていることは、日記的な要素があるので、大抵のイベントについては時間をおかず感想を記している。ところが、ずっと書けなかったものがある。松任谷由実のコンサートだ。私が行ったのは、3月30日の東京国際フォーラム。すでに2ヶ月近くが経過している。
齢を重ねるうち、一度は見ておかなくてはと思うものがある。その一つが松任谷由実のコンサートである。荒井由美時代の楽曲を別にすると、ちょっと距離のある存在だった。もちろん、耳にする機会は多くあったが、じっくりと聴き込んだアーチストではない。それがサブスク時代となり、アルバムを一通り聴き、「深海の街」ツアーが始まった。行くしかない。
松任谷由実のコンサート、その派手な演出が話題となっていたので、私はさぞかしエンターテイメント性の高いステージなのだろうと思っていた。しかし、私が見た松任谷由実はそんな単純なものではなかった。そこには様々なメッセージが含まれており、このコンサートの後、私はずっと考えている。
考えてみれば当然で、松任谷由実という稀有なアーチストは、極めて文学性の高い作品を作り続けており、その彼女がコロナ禍といった背景の下で、「深海の街」というアルバムを作成した。さらにロシアのウクライナ侵攻を受けてのショーである。彼女の様々な想いが込められていて不思議はない。
ステージ・セットは海底に潜水する船の中をイメージしているようで、「深海の街」ツアーであることを意識させる。終了後、セットリストを見ると、アンコール含む22曲中、新アルバムからは収録12曲の内9曲が演奏されている。
ユーミンは、コンサート中のMCを通じて、このコンサートは総体として何かを表現していると示唆する。それは一体何だったのか。そのことが、私の中でなかなかまとまらないのである。そうして、時間が経過した。
書くことは、頭の中を整理し、物事を理解するメソッドでもある。こうした観点から、あのコンサートを解きほぐしてみたい
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