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エリザベス女王在位70周年〜祝!プラチナ・ジュビリー

今日、6月2日はイギリスのエリザベス女王即位70周年の式典が催される。彼女は1952年父ジョージ6世(映画「英国王のスピーチ」の主人公)の崩御にともない即位、翌53年の6月2日、ウェストミンスター寺院で戴冠式が執り行われた。

イギリスは、通常月曜日の春のバンク・ホリデー(祝日)を6月2日に移し、3日の金曜日をプラチナ・ジュビリーの特別休日とし4連休でお祝いする。

御年96歳、先日は自身の名前を付けた地下鉄新線エリザベス線の開業に、サプライズ登場したらしい。私は、イギリス在住時、コンサート・ホールなどで数回お姿を拝見した。姿が見えると、皆が“クィーン!“と声かける、愛される女王である。

NHKではプラチナ・ジュビリーの記念式典を、BSで中継するが、それに先立ち「エリザベス女王 愛される理由〜即位70年の軌跡」というドキュメンタリー番組を放送した(再放送あり)。

国にそして英連邦に全身を捧げる女王の姿やエピソードを聞きながら、何度も心が打たれた。

そもそも、父親は次男であり、長男のエドワード8世に子供ができれば、王位につくことはなかった。それが。、「王冠を賭けた恋」とやらで、エドワード8世が1年足らずで王位を放り出し、父が即位。エリザベス9歳の時に、人生が大きく変わる。

結果的に考えると、イギリス・英連邦にとってはこれが良かったとも言える。エリザベスは自分に与えられ使命を正面から受け止め、軍隊に入隊し、軍用車を運転し修理まで行う。そして、彼女が25歳の時に、父が56歳という若さで死去、イギリスの女王、そして英連邦諸国の元首となる。

昭和天皇のイギリス公式訪問時のエピソードが紹介される。1971年、まだ戦争の記憶は残っており、昭和天皇に対するイギリス人の怒りは相当残っていた。そんな中、エリザベス女王は、1975年国賓として訪日する。滞在中、女王は天皇陛下と相当語りあったらしいが、その内容は公にはされていない。

番組では、その内容を垣間見る材料として、外交官の内田宏が書いた「皇居うちそと」から引用している。女王は自身を孤独かつ歴史に裁かれる立場として、「分かっていただけるのは、ご在位50年の天皇陛下しかおられません」、天皇は「戦争と平和を国民と共に歩まれたかた」とし、陛下の言葉から「教えられることが多いでしょう」と語ったとされる。

こうしたエリザベス女王の、昭和天皇に対する敬意と共感が、日本とイギリスの関係再構築に、大いなる貢献をしたのだろうと思う。

サッチャー政権下における、南アフリカなどのアフリカ諸国とイギリスの橋渡しなども含め、エリザベス女王は世界有数の政治家・外交官である。

ダイアナ元王妃が、事故で亡くなった際の態度に批判が起こり、休養中のスコットランドからバッキンガム宮殿に戻るシーンが流れた。喪服に身を包み、宮殿前に集まる人々に近寄り、声を掛ける。困難から決して逃げない姿は、多くの英国民の心を打ったことだろう。

「ノーブレス・オブリージュ」という言葉がしばしば使われる。身分が高ければ高いほど、社会的責任・義務が大きいということだが、エリザベス女王はそれを体現した人であり、この女王がいてくれたから、70年間の時代のうねりの中で、イギリスー正確にはグレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国が、そして英連邦ーコモンウェルスが維持できたように思う。

即位70年、おめでとうございます!



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