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八雲氷川神社で厄祓い〜昔の事件を思い出す(その2)

(承前)

厄年の頃は、本人だけでなく家族にも災難が降りかかることもあると聞いた。交通事故はひどいものだった。夕刻、次女の学校のイベントがあり、私も見に行った。終了後、妻が車を運転し私は助手席、次女は後部座席に座り帰途についた。

夕食を買い求めようと路上のパーキングメーターに車を止め、私だけ車を降りて店に入った。なお、ここがポイントなのだが、妻は店のある対向車線側のスペースに右側駐車した。日本では通常違反だが、イギリスでは普通である。

買い物をすませ店を出ると、なんだか辺りが騒然としている。妻が車から降りてきて、娘を車外に連れ出している。周囲の店の人も外に出てきている。何が起こったのかと近づいていくと、車の後部がぐしゃっとつぶれていた。そして、そこには人が倒れている。

妻は車を止めて私を待っていたのだが、後方から車に追突されたのである。追突した車はすでに走り去っている。不思議なことは、上に書いた通り、妻は対向車線側に停めている。脇を通る車は前方から来るものであり、後方から来ることはない。ということは、追突した車は車線を逆行し、”意図的に”人をはね、その勢いで我が家の車に追突したのである。

妻はパニック状態、娘は事態があまり理解できていない様子だが、幸いにシートベルトを着用しており体の異常はなさそう。一方、妻は駐車後ベルトを一旦外していて、フロントガラスに頭をぶつけた。特に外傷はみられないが、周囲の人が呼んでくれた救急車で病院に向かった。

医師の診断では、特に異常はないが時間を経て後遺症が出る可能性はあるとのこと。結局、そうした症状は出なかったが、妻はしばらく事故のあった場所を通ることができなかった。一種のPTSDである。

さて、この事故のその後だが、はねられたのは中国系の男性で死亡、“謎の黒い車による殺人事件“として、ローカル紙に掲載された。そして、当然にして警察は妻に面談を申し込んできた。妻の記憶では、サングラスをかけた男が運転する姿がルームミラーに移り、近づいてきたかと思うと衝突、その後、その車は冷静にバックし、再び前進逃亡した。そのことを警察に説明した。

警察官は妻に、「犯人が捕まったらその顔を確認し、法廷で証言してもらえるか」と問い、妻は「とんでもない。怖くてできない」と答えたそうだ。

この事件があり、私は厄年というものを強く意識し、出張で帰国した際に、お祓いに行った。そうして、この経験から、娘の大厄に際しても神社に通っているというわけである。

気休めだと思う。しかし、どうしても抗えない力が世の中にはある。人はそれを少しでもやわらげようとできることを行う。子供については、自立すればするほど、親が直接に関与できる余地は少なくなっていく。できることは神だのみくらいしかないかもしれない。社寺仏閣とは、そうした人たちの心のよりどころなのだと思えるようになってきた。

八雲氷川神社に訪れる人々を眺めながら、祈祷料として納めたものは、自分のためだけではなく、コミュニティが頼る存在のための、ささやかな助けになればと考えた

*根元だけになった、神社の神木

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