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八雲氷川神社で厄祓い〜昔の事件を思い出す(その1)

次女は1991年生まれ、今年は女性の大厄の前厄である。長女は4歳上なので、4年前から厄祓いのご祈祷をお願いしに、節分前後に神社を訪れた。長女の大厄は一昨年終わったが、昨年は私自身が数え60歳の厄年、あまり良い年回りではなかったので、お祓いをしてもらった。そして本年、これで5年連続して通っている。

祈祷をお願いするのは、都立大学駅北にある八雲氷川神社である。私の住む大岡山、周囲の自由が丘などを含む地域は、かつて衾村(ふすまむら)という名前で、この村の鎮守、氏神がこの氷川神社である。また、神社周辺の八雲という地名も、この神社から来ている。

「八雲」の由来は、日本最古の和歌ともいわれるスサノオノミコトの歌、“八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を“。幾重にも雲が沸き立つ出雲の地に、妻を住まわせるための場所に、何重もの垣根を作ろうというものである。

したがって、祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)、さらに櫛稲田姫命(クシイナダヒメ)、大国主命(オオクニヌシノミコト)となっている。批判を覚悟に書くが、私にとって祭神は結構重要で、やはり神話的な世界にしてほしい。近世以降の存在、例えば徳川家康、明治天皇、乃木希典が祭神と言われても、ちょっとピンとこない。その意味では、いわゆる氏神であれば、古くからの神社なので、ご利益があるように思える。

境内には神楽殿があり、秋の例大祭では、八岐大蛇退治を表した、「剣の舞」が奉納されるようである。また、大国主命が草木で薬を作ったという神話から、神木を削り煎じて飲むと効くと言われていたらしい。おかげで、境内にある神木は枯死してしまい、根本だけが残っている。

祈祷の前後に宮司と話していた際、節分のお祭りは実施できたのか尋ねたところ、「今年こそは」と考えていたが、足元の状況から断念したそうだ。コロナという鬼は、豆まきをも封じている。

こうした由緒のあるこの神社は、決して何かのついでに参詣する場所ではないにも関わらず、正月でなくとも訪れる人がそれなりにいる。イメージとしては、土曜日の午前中、社殿の写真を撮るに際し、人が映り込まないようにと待つも、常に人がいる状況である。

などと、厄祓いの祈祷、神社の由来まで書いたが、もとは決して信心深い人間ではなかった。初詣もイベント感覚で行っていた。ロンドンに赴任となり、神社自体疎遠な存在となった。そのような状況の中、ロンドンで私は男の大厄を迎えた。様々な事件が発生した。泥棒に入られた、そして交通事故に遭った。ただし、私ではなく妻である。

この続きは、また明日


献立日記(2022/2/6)
鶏団子のスープ
菜の花、春菊、ほうれん草の辛子あえ
空豆



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