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まさに眼福を得る〜「四月大歌舞伎」玉三郎と仁左衛門

「四月大歌舞伎」夜の部は、片岡仁左衛門と坂東玉三郎の共演「於染久松色読販」(おそめひさまつうきなのよみうり)。

“お染の七役“として知られる演目で、一人の女形がお染・久松を始め、早替わりも駆使しながら七役をこなす。橋本治著「大江戸歌舞伎はこんなもの」(ちくま文庫)によると、かつて歌舞伎の世界において男女は区別されていた。もっとも、すべて男性で演じられるので、立役と女方という意味ではあるが。

女方は現実的には座頭につくことができず、立役の役割が「見得」を切るということならば、<女方の仕事というのは「踊ること」です。歌舞伎の世界では、踊りの主役は長い間女方でした。つまり「男はドラマを担う、女は情景(もしくは感情)を担う」というような役割分担が出来上がっていたのです。>(「大江戸歌舞伎はこんなもの」より、以下同)

そんな中で、<「江戸のウーマンリブ」が始まります>。担い手は、五代目岩井半四郎と、鶴屋南北。この二人が<「女方であっても、座頭と同等のことは平気でやれる」>として上演したのが、この「於染久松」だったと、橋本さんは書いている。

2003年に玉三郎は“お染の七役“として歌舞伎座にかけ、私も目撃することができた。あれから20余年が経ち、大和屋も体力の問題から“七役“は演じず、土手のお六と、仁左衛門演じる鬼門の喜兵衛の場面にフォーカスして上演した。

五代目岩井半四郎が突破口となり、戦後の六代目中村歌右衛門そして坂東玉三郎、“七役“をやらずとも女方が立役に劣るなどと思う人はいなくなった。

ということで、難しいことは抜きにして、お六と喜兵衛の悪事、色悪の仁左衛門と女ながらに悪女のお六の玉三郎を見つめていればよい。そんな興行となった。

さらに、「於染久松」に続いて上演されたのは、鳶の頭と芸者が艶やかに踊る「‘神田祭」。ガラリとなりを変えた玉三郎・仁左衛門が美しく、色っぽく踊ってくれる。今回は花道そばの席だったので、眼福とはまさしくこのことという感じだった。

最後の演目も踊り「四季」。こちらはオールスターキャストという感じの華やかな舞台。寺島しのぶの息子、眞秀も出演、今と将来を担うであろう役者陣が魅せてくれた。

「江戸のウーマンリブ」を経て、女方の仕事「踊ること」を、役者総出で表現してくれたのだった。

2024年4月20日


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