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高校野球と“ペッパーミル・パフォーマンス“〜若者に自由と自主性を

WBCは、日本にこれ以上ない劇的な勝利がもたらされ、今日まさしくアメリカとの決勝である。

WBCを除くと、地上波で野球を見られる貴重なイベントと言える高校野球、春のセンバツも3月18日に開幕した。その第1試合、山梨学院vs東北の試合、1回に東北のバッターが塁に出た。その選手が、今流行の“ペッパーミル・パフォーマンス“を行うと、一塁塁審が注意をした。

これに関し、高野連は見解を示した。

「高校野球としては、不要なパフォーマンスやジェスチャーは、従来より慎むようお願いしてきました。試合を楽しみたいという選手の気持ちは理解できますが、プレーで楽しんでほしいというのが当連盟の考え方です」

“ペッパーミル“を披露することに関する、私の個人的な感想は“ダサいなぁ“である。今日本中で話題になっている“パフォーマンス“を、小学生でもあるまいし、高校野球の全国大会という場所で行うのは、“格好悪い“、見ていて恥ずかしいと思う。粘った末のエラーでの出塁、思わず出たという感じではあるが。

一方で、塁審の注意、高野連の反応については、「子供じゃないんだから、口うるさく言うなよなぁ」である。相手選手への敬意と、“パフォーマンス“は裏表の関係である。その関係は、エラーだからパフォーマンスはNGとか、ホームランだけらOKというような単純なものではない。

高校生だから行き過ぎとか“悪ノリ“はあるだろう。しかし、人間として成長するに従って、そうした機微は分かるようになる。また、審判や高野連といった“権威“ある存在ではなく、監督などそばにいる大人が助言することで、その理解は促進される。

人間は本来自由を望む存在で、自由を大事にすればこそ、周囲を尊重し、自主的に行動をコントロールするようになる。WBCの選手や、大谷のホームラン・ボールを周囲と共有した人々がそれを示してくれているではないか。話は大きくなるが、日本に必要なのは、停滞した社会を打破するための、若者の自由な発想・行動と自主性だと思う。

スポーツの世界に限定したとしても、高野連もそれに早く気がつかなければいけない。多様な楽しみがある今、野球が“自由と自主性“のないスポーツと誤解されると、子供たちはソッポを向くだろう。

もっとも、メキシコ戦の勝利とその後の歓喜の渦は、高野連の見解などかき消してしまうような“パフォーマンス“だったが

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