見出し画像

ローリング・ストーンズの礎、チャーリー・ワッツ逝く〜英Times紙の記事

昨日(8/25)の夕刊、ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツの訃報が飛び込んで来た。これで、オリジナル・メンバーは、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの2人になった。

チャーリーは、90年代初めに脱退したベーシストのビル・ワイマンと共に、“静かなストーンズ“として、リズム・セクションを担った。その存在は、ストーンズのアンカーであり、礎だった。彼がいることで、ストーンズは安定を保っている、ファンからもそう見えていたはずである。一番長生きいしそうなメンバーだっただけに、驚きのニュースだった。

元々はジャズが好きで、その活動も行なっていたチャーリー・ワッツのドラミングは、決して前に出ない、それでもしっかりとリズムを刻み、やんちゃなフロント・メンを支える、職人的な格好良さがあった。

この日の英Times誌、1面トップは勿論チャーリーの訃報である。記事を読むと、これまであまり知らなかった彼の一面を知ることができた。(チャーリー・ワッツの地味な人生が、話題になることは少なかったということでもある)

ちょっと抜き書きしてみる。

・ストーンズ結成からほどなく、1960年代初めにシャーリー夫人と結婚し、関係は現在まで続く

・「40年くらいの間、目の前をミックのお尻が走り回るのを見ていると思うよ」
「ドラマーとして最大の賛辞の一つは、誰かが踊ってくれること。だって、ドラムはダンスすべきだし、あなたが踊りたくなるように演奏しなければいけない」

・1984年アムステルダムの夜、ミック・ジャガーが謝ってチャーリーのことを、自らの所有物のように“俺のドラマー“と言ったことに、チャーリーは激怒。ミックを殴ることになる。以来、ミックは、「チャーリのいないストーンズはありえない」と言うようになる

・ツアーに出ると遊び回るメンバーを尻目に、チャーリーはホテルの部屋でその内装・調度品をスケッチしていた(彼は元々、広告代理店のデザイナーになろうとしていて、ストーンズに入ることを断っていた。なお、その才能は、ステージのデザインに生かされた)

・ツアーに出ることが嫌で、彼の愚痴はお約束になっていた。それでも、ツアーには参加していた、チャーリーは「私がもしリタイアし2週間も経つと、妻はきっと『仕事行かないの?』と言うだろうね」

・保守的な性格とはいうものの、イギリス人にありがちな偏執病的な収集癖〜使わないのに集める〜があった。車の運転は習ったことなかったが、クラシックカーのコレクターだった。

・キース・リチャーズが語る、「チャーリーはいつもそこにいるけれど、彼は誰にもそのことを知られたくない。彼がドラムを演奏しなければ、本物とは言えない。チャーリーがローリング・ストーンズであると分かるよ」

・80年代半ば、ミックとキースの関係が互いに会話もしないほど悪化した際、チャーリーは仲裁役を果たした。彼の外交力なかりせば、ストーンズは存続していないだろう。

・80年代半ば、「ストーンズは私の全てではなく、活動が終わっても気にしない。でも、他に何をするか思いつかない。頭がおかしくなると思うよ」とチャーリーは分析していた

真面目なサラリーマンのようにも見えるチャーリー・ワッツ、ご冥福をお祈りします〜“Undercover of the Night“

献立日記(2021/8/25)
渋谷「麗郷」からのテイクアウト(コロナ禍の下、通しで営業しているので、17時前でも可です)
ガツ炒め
キクラゲ炒め
台湾干し大根玉子焼き
焼きビーフン
焼売


画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?