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マウリツィオ・ポリーニの思い出〜1996年のロンドン

イタリア人ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニがお亡くなりになった。

1996年、私はロンドンに赴任した。同僚が、「ポリーニがベートベン演奏するよ」と教えてくれた。

ロンドンのクラシック・ホールの一つ、ロイヤル・フェスティバル・ホールでポリーニは、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲を演奏するチクルスを始めていた。

私は早速チケットを入手し、彼の生演奏を初めて体験した。これが、ロンドンでのコンサート遍歴の始まりの一つだった。素晴らしい演奏に、比較的気軽に行ける環境がいたく気に入り、妻と私はコンサートの常連となった。

ベートーベンのチクルスが終了した後も、ポリーニは定期的にロンドンで演奏した。私は彼の大ファンというわけではなかったが、しばしば聴きに行った。

今回の訃報を伝える記事の一部には、彼の演奏の正確さを評して「精密機械」と表現している。ポリーニはそのテクニックの素晴らしさが強調されるが、それはあくまでもベースであって、彼の表現するベートーベンやショパンからは、技術を超えたものが感じられた。

1996年のコンサートには、当時9歳と5歳の二人の娘も同伴した。5歳の娘は退屈する時間もあったと思うが、そんな時はホールの照明の数をかぞえて気を紛らわしていた。

あれから30年近い時が経ち、9歳だった長女はピアノの仕事、5歳の次女はScottish Chamber Orchestraでバイオリンを弾いている。

ほんの少しかもしれないが、ポリーニの音が彼女たちの表現につながっているだろう。

小澤征爾に続いて、ロンドンで聴いた巨匠が亡くなった。あの頃、聴いた演奏家も随分他界、あるいは演奏活動から引退している。

などと書いていたら、今朝(3月26日付)の朝日新聞朝刊に京都のお茶屋の女将で元芸妓の‘てる子‘さんが、小澤征爾の思い出を語っていた。その中で、小澤さんから<よう共演者の面倒を頼まれたました>とある。そのエピソードとして、歌手のジェシー・ノーマンは体が大きくタクシーに乗せるのが大変だったこと、指揮者のロリン・マゼールが溝にはまってケガをしたこと。

ジェシー・ノーマン、最前列で聴いたリヒャルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」が凄かった。マゼールは、ザルツブルク音楽祭で振った「ドン・ジョバンニ」、素晴らしいキャスト・演奏だった。その二人も、もういない。

舞台は一期一会、またそう感じさせるニュースだった



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