ショートショート 1分間の国 ◎【純愛=妄想=変態】



 夢想する、妄想する、だけならまだしもそれに癖(ヘキ)がつくとなると、程度の差こそあれ、だいたいは身構えられる。


 まあ、夢想癖、妄想癖は社会不適合者のデフォルトのようなものだから仕方がないけれども、こんなひどい社会に適合するなんて、という反論も夢想家、妄想家にはあるわけだ。


 私も敢えて妄想癖があると名乗ることはもうしないが、知り合いから指摘を受けることはままある。指摘してくれるくらいだからある程度は親しい間柄なわけで、この場合は気にならないけれども、ではそれ以外の方々はどう思っているのか、と考えると少し気が重くなることもある。


 おそらく夢想家、妄想家と見られる理由はしばしば浮かべる冷笑であったり、心ここにあらずといった態度だろうから、さらにそれをもって高慢などと思われるのはたいへんに不本意なのだ。私はなにごとにも控えめで謙虚だ。


 ではどうして妄想家になったのだろう、と考えてみると、これがよくわからない。まだ幼児のころ、絵本の次に読んだのはジュール・ベルヌとかコナン・ドイルだとかの古典SF小説だった。おそらく何冊か与えた本のなかでいちばん食いつきがよかったジャンル、ということで親が選んでくれたのだろう。


 あまり夢中になって没頭するものだから、あそこのバカ息子は意外に読書家だという噂が立って、それを聞きつけた向かいの家では、私と同い年の男の子に世界児童文学全集みたいなものを買ったらしい。


 これがまた私のSFへの傾倒を強めた。優等生気取りをしやがって。SF好きな傾向はやがて怪奇小説、幻想小説へ進む。こうなるともう夢想家、妄想家の範疇にほぼ足を踏み入れているといえるだろう。


 だから私の妄想癖は、いまのところ幼児のころ明らかになった資質としかいいようがない。


 妄想癖によって自分自身が困った記憶はあまりない。ただ、高校に入学して同級生の女の子に恋をしたときは手を焼いた。


 その女の子のことを学校でも家でものべつまくなしあれこれ考えてしまう。これでは勉強が手につかない、などと殊勝に反省して、1時限ごと、家では1時間に1回15分の妄想タイムを設定した。その15分間だけは妄想に没頭し、その他の時間は勉強など他のことに打ち込もう。


 おかげでけじめがついて、妄想の内容もデートをしたり大学を卒業して結婚したり、といたって健全。妄想タイムの滑り出しは順調だった。しかし妄想はいつも明るく楽しい方向へばかり進むとは限らない。ときには悲劇に陥ることもあった。


 たとえば彼女は大学で大企業の社長の息子に見染められて結婚するものの、その父親の会社は莫大な負債を抱えてあえなく倒産。親の借金を抱えた息子はすっかり自暴自棄になって完全に破綻し、妻である彼女を夜の街に売り飛ばす。


 夜の街でも彼女の美貌はたちまち男たちの目を惹き、さまざまな誘惑があり、そのあいだを転々とするうちついに風俗業にまで流れ着く。哀しくもヌードダンサー、いやストリップダンサーのようなことまでさせられてしまう。


 そうして骨の髄まで搾り取ろうとする男たちの汚い手から逃れようと、彼女は東京を離れ、地方都市を転々とするようになる。流転の日々の苦しさに耐えきれずクスリに手を出すようになってしまう。


 すっかり疲れ果て、年齢を重ね、美貌にも翳りが見えてきた彼女を、暴力団員のある男があろうことか東南アジアに売り飛ばそうと計画する。必死に逃げ回る彼女であったけれども、遂に捕らえられて南の島から小さな漁船に乗せられる。


 船のなかで一緒になった、これもまた不幸を背負わされた女数人と一緒に抵抗を試みるが、やはり荒くれ男どもの力には敵わず、彼女ひとり海に転落してしまう。


 海には腹を空かせた鮫がいて、哀れ彼女はその餌食に。


 B級アダルト小説を継ぎ接ぎしたような、しごくありきたりでつまらないお話ではある。15歳のときこととはいえかなり恥ずかしい。反対にこのときまでにアダルトな英才教育を施されていればかなりすごいものになったのではないか、といまになって私は思う。


 しかし恋い焦がれた女の子だというのになぜ闇落ちさせなければならないのか、それは自分でもよくわからない、いやあるいはサディスティックな性的願望がそうさせたのかもしれない。ただ、こんなふうに執拗に妄想し続ける自分が怖くもあった。


 しかし辟易し、恐怖するその一方で同時になぜかスッキリした気分になったのも事実だった。


 現実として、高校生の彼女に告白することはなかった。その必要は妄想によって緩解させられたのだ。これもまた妄想家の態度としてはありがちなことだ。


 まだ20数年だけれども、私の人生の半分はこんなふうに妄想で組み立てられているような気がする。そのまた半分でも実生活に振り向ければもう少し羽振りのいい生活ができたかもしれないと思うけれども、これでいいのだ。なによりバランスは取れている。


 世間の人々の内的な生活はどんなものなのだろう。自分と同じ年代くらいまではなんとなく想像がつく。しかしそれより若い人々の場合はまったく見当もつかない。


 妄想をするにしてもその燃料の知識や経験は必要なわけで、仮にそれが主にアニメばかりだというような状況では、いったいどのような妄想が育まれるのだろうか。


 それが私には、自分のことは棚に上げて怖い。


                            (了)



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