掌編小説●【怪談師ボブルヘッド】




 雑居ビルの地下2階にあるライブバーの奥、小さなステージの上に丈の低い机と椅子が用意される。続いて上手から灰色の布ですっぽり全身を覆った人間らしき大きなものが現れ、スタッフに左右を支えられてのろのろと進み、注意深く木製の椅子に腰を下ろした。両腕を肘掛に預けて静かに正面を向く姿は執行直前の死刑囚のようだ。


 スピーカーから流れていたピアノトリオの演奏が止まった。


「お待たせしました。怪談の時間です」


 たったそれだけの口上のあとおもむろに灰色の覆いが引かれ、怪談師ボブルヘッドの頭部がライトに晒される。およそ50人ほどいる客が一瞬ざわめいて、それから金縛りにあったように揃って身を固くし、しわぶきの音ひとつ立てず次の展開を待った。


「こんにちは。ほとんどの方ははじめまして。怪談師のボブルヘッドです。ボブとかボビーと呼んでください」


 ボブルヘッドとは首振り人形のことだ。菓子メーカーや医薬品メーカーのキャラクター人形の仕掛けに採用され、身長1メートルくらいの女の子や男の子、それにカエルやウサギ、ゾウの子どもなどが街角の店先に置かれていた。家庭用には10センチほどの大きさのミニチュア版があった。


 みんなバネ仕掛けでボヨヨヨーンと首を振る。そんな躁的な時代があったのだ。


 しかしいま、人間離れしたコントラバスの声で挨拶をしたボブルヘッドはそんなに可愛らしくはない。頭部は異様に大きく、掛け値なしにゾウの子どもくらいはある。それだけで見た瞬間に全身を痺れさせる衝迫力がある。


 肌の色もゾウに似て灰色がかって、狭い額の上に七三に分けた髪は漆黒。眼は細い三白眼で眼光鋭く外斜視、唇は裂けたように薄く長く、よこしまな感じに口角が上がっている。眉毛が左右で段違いだ。


 だからボブとかボビーと呼べというのは自虐的な冗談のつもりなのに違いない。


 乱杭歯を見せてニヤリと笑うと、前の席で見ていた若い女がきゃあと悲鳴をあげた。ボブルヘッドが慰めるつもりか女を眼で追って語りかける。


「……、ねえ。ねえ。いいんです。驚かれたり怖がられたりするのには慣れていますから。それに驚くのがふつうですよね。自分もときどき鏡を見て叫びますから」


 ボブルヘッドは眼と口だけをゆっくり動かし、そのほかは微動だにしない。唇と鼻まわりを中心に全体の肉付きがよければ、アステカの石像に似るかもしれない。


「エレファントマンという映画があります。けれども、私のほうがずっと大きいでしょう。原因はいろいろ調べられたんですが巨人症ではないみたいで、結局、不明です。実際、面長じゃないですしね。……、まあ、面長とか下ぶくれとか瓜実とか、そういう範疇の顔ではもともとないんですけど。……、この謎の身体はいずれ死んだら病院に標本として寄贈する予定です。欲しがるものですから」


 出産の痛みは鼻の穴からスイカを出すようなものだという話を思い出していた。不謹慎である。


 ボブルヘッドは表情を動かさず正面を向いて淡々と喋る。途中で照明が絞られ、顔だけが闇に浮かんだ。ここが古い雑居ビルの地下2階のどん詰まりみたいな場所だと思い返すとさらに否応なしに雰囲気は高まる。これからいよいよ怪談どころではなく、実際にホラーな出来事が起こりかねないとすら思わせる気分になってきた。


「それでは、今回はお盆にちなんだ話をしましょう。お盆といえば墓参りです。墓参りにいって怖い目に逢ってしまったという話はきっとたくさんあるでしょうけど、これもそのひとつです。……」


 お盆休みに帰省した若い女が家族や親戚と都合が合わずひとり遅れて墓参りに行くことになったことからはじまるその話は、あらかじめボブルヘッドが匂わせた通りかなり古典的なものだった。


 途中で出会ったいやらしい目つきで全身を舐め回すように見る地元の爺さんたちや満員ぎゅう詰めの墓参特別バス、それから急に降りはじめた激しい雨に軒を貸してくれたうえに、さらになにもないけどと卵かけご飯をご馳走してくれた山間の集落の親切なお婆さんも、実はみんなこの世の人ではなかった、というものだ。


 話自体はシンプルで演出に趣向が凝らされているわけでもなくスッキリとしていたのだけれども、ボブルヘッドの異形と腹に響く低い声、そして現実離れした重苦しい雰囲気のせいで、怖さは十分に味わえたのだった。


 ボブルヘッドの動かない巨大な顔が客の心に緊張を呼び、話の内容に集中させるのだ。


 とくに、卵かけご飯をご馳走してくれたお婆さんは実はその集落に最後までひとり残った住民で、孤独死した遺体の首には黒いヘビが巻きついており、そして卵はヘビの大好物であることが明かされると、何人かの女性客は無言のまま静かに気を失ってしまったようだった。


「どうだった。かなりのものだろ」


 怪談が終わってビルから出たところで、誘ってくれた中真一がさっそく聞いた。昨日からの雨がまだ降り続いている。


「予想以上だった。凄いわ」


 中真一は芝居や音楽などのライブを企画しているプロデューサーで、どうやら今夜のボブルヘッドを手がけたいと考えているようだった。


「だけどあれじゃ、……あそこは早く出ないとグロテスクな見世物で終わってしまうんじゃないかなあ」


 怪談の最中に思っていたことを続けて話した。


「あの人はああいう異形だからこそメジャーな舞台で生きると思う。もしかするといままでにないタイプの一流になれるかもしれない。……、ユニバーサルな時代ってヤツをスマートに追い風にして」


「オレもそれを考えていた。……、新作をかけるときにはまた世話になりたいんだけど、いいかな」


 もちろん作家の仕事はありがたい。しかしこれ以上は中真一もボブルヘッドに関する29歳ということ以外の情報をほとんどもっていなかったので、少し時間をかけてリサーチしてからということになった。とはいえ夏が終わる前、つまり怪談の需要期中にスタートは切りたい。もうあまり余裕はなかった。


 ライブバーに問い合わせると、ボブルヘッドはその店の専属であり、いまは週1回、7月からは週2回の出演予定ということだった。チケットはもうかなり売れているということで、さっそく直近の日程を抑える。


 ボブルヘッド自身の連絡先などについては、ライブハウス側もどうやら囲い込みを考えているらしく慎重で、明かしてはくれなかった。しかし直接本人に連絡をとる手段がまったくないわけでもないし、身体の状態を考えればひとりで行動しているはずもないので、人手はかかるけれども心配ない。


 2度目にボブルヘッドの怪談ライブを見たのはそれから約2週間後のことだった。四尺刀と呼ばれる刃渡り4尺、つまり約120センチもの長さの日本刀にまつわる話で、序盤からかなり凄惨なものだった。


 意地の悪い殿さまから下賜された四尺刀は刃が酷く欠けてほとんど付いておらず、さらに錆にもまみれたガラクタ同然で、ほとんど使いものにならない。主人公はこれで切腹の介錯をしろと命じられる。いざその場面では、立ち見も出るほど盛況の会場に失神する者が続出した。


「切腹は腹を切って死ぬんじゃないんです。自分で腹を切っただけじゃ死ねません。実際には介錯人が首を刎ねてようやく死ねるものなんです。しかしその介錯人の刀がまったく使いものにならない。何回振り下ろしても頸に入っていかない。手元が狂って肩口やこめかみにも斬り付けてしまう。やがて血まみれになった罪人は痛みに耐えかねて地面に転がる。それを仰向けに押さえつけて寝かせ、喉に切れない四寸刀を当ててゴシゴシやる。たまらず悲鳴をあげる口から血がゴボゴボと溢れ出す……、」


 そのとき私の斜め後ろの席で大きな音がして、何人かが座ったままで将棋倒しになった。


「誰かが引っ張る!! 引っ張ってる!!」


 女が叫び、場内が一気に騒然となった。見ると確かに女のスカートが頭上に捲り挙げられている。呆気にとられているとそのまま女の身体まで引きずり上げられそうになったので、慌てて私はそのウエストのあたりにしがみついた。


 下を向いて女の体を必死に抑えながらパニックになったらまずいな、と思ったときに照明が点いた。会場全体がパニックに陥らずにすんだのは、小さなステージ上のボブルヘッドが痙攣的な、戦争後遺症のシェルショックのような、あるいはパーキンソン病のような奇妙な動きをはじめたからだった。


 ボブルヘッドは踊るような仕種をしながら無表情のままノロノロと立ち上がり、横を向き、雲を踏むように心もとなく二、三歩いて倒れ込んだ。巨大な頭の脇で触覚のような両腕がなにかを掴もうとしていた。


 スタッフが観客の誘導をはじめ、同時にボブルヘッドをステージ袖に運び込む。このとき、マントともカーテンともつかない灰色の着衣の下に、ボブルヘッドの赤い長靴が見えた。ボブルヘッドの脚は細く、足は子どものように小さい。


 そりゃバランスが悪いよなあ。


 呆然と腑抜けてまた他愛のないことを考えた。気がつくと斜め後ろの混乱は片付いていて、席が広く空白の状態になっている。なにが起こったのかわからなかった。


 それから約3ヵ月が経ち、夏もすっかり終わってしまったけれども、ボブルヘッドの怪談ライブは再開される気配がない。ライブバーに問い合わせをしても、我々も連絡がつかなくて困っているのだという回答だった。そして彼らはなんとボブルヘッドの本名すら知らないというのだ。しかし嘘ではないように思えた。


 中真一はボブルヘッドには必ず協力者がいるはずだから、と調べを進めていたけれども、そちらのほうも有力な手がかりはなかった。ただこれもライブバーからの聞き取りだが、姉と名乗る女がいたことはわかった。

 私はときどき、ボブルヘッドは本当に存在していたのだろうかという心もとなさに襲われる。しかし私は確かにボブルヘッドの怪談話を聞いたし、姿も見た。ボブルヘッドは怪談話ではなく、実在したのだ。きっとまたどこかで出会う。

                              (了)




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