掌編小説【純情レプリカ】
四百字詰原稿用紙約9枚
久しぶりに友達の京介の誘いで飲みに出た。京介から声がかかるということは、また女にふられたに違いない。彼女がいるときの京介はそちらに夢中でかかりっきりになるので、私とはほとんど音信不通状態になる。
もう桜も終わっているというのに京介は生成りの冬物のセーターを着てきた。無頓着なのか、それとも身も心も寒くなってしまったのか。
京介は真面目でやさしい、いい男だし、身長もある。超一流とはいかないまでもそこそこ名前の知れた会社に勤めていて、そのうえ実家は小金持ちときている。知っている限り変態的でもない。
私から見れば惚れられる要素はあっても捨てられる要素はないのだが、いつも手酷く捨てられる。どうしてあんなダメな男がうまくいくんだろうなあ、が口癖になっている。
人の好き嫌いなど理屈通りにはいかないものといえばそれまでだが、それにしても京介は女運が悪すぎる。オレの知っている限りでも、これまでに付き合った3人全員にこっぴどく、塵芥のごとく捨てられている。
前回には、とうとう、いったいどんなタイプが好きなのかと聞いてみた。そもそもそこに問題があるのではないか。
「嬢」
間髪を入れずひとこときっぱりと返してきた。誰がなんといおうと絶対に譲れないという確固とした信念の光を丸い瞳に漲らせている。
嬢とは、たとえばホステス嬢とかキャバ嬢とか、あるいはストリップ嬢など、主に夜の仕事に就いている女のことをいう。すべての嬢が性悪だとはもちろん思っていないが、京介の場合はやはりこれまで相手が悪かったのではないか。
裏のありそうな、たとえば金だけが目当てのぞんざいな態度がつい出てしまうような女に限って惚れてしまい、ついフラフラと近寄っていく、ということもあながちありえないではないだろう。
「嬢以外は女として見られないんだよなあ。好みとか趣味の範疇じゃないんだよ」
京介は飲み屋のテーブルに着くと、私の顔を見て困惑したような照れ笑いを浮かべた。わかってるんだろう、といわずもがなに語っている。
「もう、あれだよ。会社にいっているあいだに部屋のもの一切合切、全部もち出していなくなっているんだもの。それから連絡はつかないし、店は辞めているし」
単刀直入である。
「それはまた手馴れたもんだな」
夜逃げ経験が豊富なのも、男絡みばかりではないとしても、それはそれで考えものだ。
「だからとってもひとりの仕事じゃないわけよ。……、ひとりじゃ無理だよなあ。だから最初から男がいたんじゃないかと思うよ」
京介は半ば自棄気味にグビグビグビとビールを流し込んだ。
「最初からかどうかはわからんけど、まあ、そういうことだな」
女にフラれた友達と1対1で飲むのは病み上がりの面倒を任せられているようなものでたいへん居心地が悪い。しかもこの場合、「次はどこか可愛い女の子のいる店へいってバカ話でもしようか」とはならない。いつなんどき嬢好きの京介の震える琴線に触れてしまうかわからないのだ。
「そういえばオレんちのじいちゃん、知ってるだろ」
ビールで早くも顔を少し赤らめた京介が話を変えた。なにはともあれ気持ちが吹っ切れるならそれに越したことはない。
「知ってる。女好きなじいちゃんな」
むかし質屋をやっていた京介の祖父はもうすぐ90かそれを超えたかくらいの年齢のはずだった。おもしろい人で、いまでもときどきひとりで飲み歩いては途中で足腰が立たなくなってパトカーで帰宅することもあるという話だった。若い看護師の尻を触るなどは朝飯前らしい。
「そのじいちゃんの行動が最近怪しくてさ、どうも家から金を持ち出しているらしいっていう話になっていたわけよ」
質屋時代に儲けた金を家族にも秘匿して自分の小遣いにしているという話は聞いたことがあった。
「で、先月、すごく風の強い日曜日だったけど、昼間にどこかへいそいそ出かけるようだったから、これはと思っておふくろとオレでこっそり尾行してみたんだ」
追加のビールをひと飲みすると京介はさもおかしくてたまらないというふうに赤い顔を左右に振って見せた。
「そうしたら、近くの公園のベンチでじいちゃんが座って待っていると、やってきましたよ、見るからに水商売風の派手なマダムが。……じいちゃんいそいそ立ち上がって二言三言話をして、懐からなにやら封筒を出して渡してた」
「あらあら、緊急事態宣言とかまん防とかは関係がないんだ。そういうことには」
「そうしたらそれを受け取ったマダムときたらいきなりすぐに手を振っておさらばさ。貰うものを貰ってしまえばあとはラ・フランス。とっとと去っていったよ」
「あとは洋ナシということか」
「風の吹きすさぶ公園にじいちゃんひとり取り残されて、なんだかかわいそうだったな。吹けよ風、呼べよ嵐って感じで」
「マダムもそうとう切羽詰まってたのかもな」
「ところがおふくろが怒っちまって、怒髪天ですよ」
京介がとってつけたように改まったいい方をした。
「こういう、いわゆる水商売の女の寸借詐欺といえば、いちばん多い口実は知り合いか友達かの結婚式だからな、きっとじいちゃんがやられたのもその程度のものだろうと思うんだけど。あの歳で深い関係ってのも無理だろうし」
いつのまにか京介はそんな経験まで積んでいたのだ。
「マダムったらおふくろより確実に若いし、遠目に見ても割と美人ぽかったし……。嫁の立場からすれば不潔きわまりない舅、義理の父っていうとこだな」
考えてみれば京介の祖父は昔の人間にしては身長も高く、それなりにモテる男だったのだろうと思わせる雰囲気がある。
「だけど冷静に考えていくらじいちゃんの金とはいえあまり持ち出されては困るし、最悪、不動産関係の権利書などもじいちゃんが管理しているから、もしもということも考えられるわけよ」
「入籍なんかしたらすごいよな」
そこで京介たち家族は協議のうえ、祖父の部屋に引いてある電話を外したのだそうだ。携帯やスマホなどはもっていないから、これでとりあえずマダムからの連絡は遮断できる。逆にマダムへの連絡はキッチンにある電話を使わなければならなくなるので、まさかそこで込み入った話はできないだろう。
「男っていうのは何歳になっても助平らしいけど、90歳になってもなんだな」
「そしたらよう」
べらんめえ口調になって続きを話す京介の顔は、たぶんここしばらくでいちばんの輝きを放っていただろう。
「電話を外したらじいちゃん体調が悪いっていって部屋から出てこなくなってな。食事なんかも運ばせて。そのうちほんとうに具合が悪くなったみたいで飯も食わず、ほぼ寝たきりになったんだよ。話しかけても、もう生きてても楽しくねーや、みたいな愚痴ばかりで」
男全員がこうなるわけでもなく、とすれば女に惚れるのも騙されるのも才能の一種、というしかない。
「結局、まず体力を回復させなきゃいけないんで病院に入院させたんだけど、その個室の電話でまたさっそくマダムに連絡したらしく、見舞いにきたんだよなあ、あれ。枕元にピンクのハートのカード付きのアレンジメントフラワーが置いてあった。ミカより、なんつって」
そういえば、父と息子が同じ年齢のとき、同じ地方出身の女と同じ土地に駆け落ちしたという話を聞いたことがある。
隔世遺伝ってやつかな、と口が滑りそうになってそれは飲み込んだ。
そしてそれからほぼ半年ほど経ったころ、今度は孫の京介が荒れているという話が京介の父親から伝えられてきた。すっかり立ち直ったと思っていたのに、と意外だったが、最近ではアパートには戻らず、会社を休んで実家の部屋に閉じこもることもあるらしい。
請われるまでもなく京介に会って話を聞いてみることにした。
京介は思わず吹き出しそうになるくらいにげっそりと痩せ、やつれていた。寝癖が激しい頭に手をやりながらボソボソと喋る。
「笑うよなあ。もうダメダメよ」
ひどく貧相だ。
「女も男も星の数。どの道を進んでも誰かに出会う」
自分でもあまりよくわからない、口から出まかせのセリフで慰めた。
「参ったよ。今回はさすがにダメージが大きいわ」
いいながらベッドに座ると両手で顔をゴシゴシとこすった。
「まーた会社にいっているあいだにトンズラされちまっただよ」
ということは、この半年のうちに新しい嬢に出会い、同棲にまで進んでいたということだ。
「なんだか羨ましいぞ」
「そうか」
部屋の隅のデスクに腰を下ろした。
「どんな女だったんだ。思い切っていってみ」
これまで京介の相手の女について具体的な話を聞いたことはなかった。それはプライベートな問題だし、ことさら思い出させるのはよくない。しかしいまは友人としてなにかアドバイスを送らなければならない状況になった手前、いよいよそこに踏み込まなければならないときだろう。
そして、京介のモゴモゴと口ごもりながらの話を聞いて唖然とした。今回トンズラした嬢は前回トンズラした嬢の妹だというのだ。一卵性双生児の。
お前、それこのあいだの女、本人じゃないのか、といいかけて咄嗟に顔を伏せた。もしかすると、いやたぶん傷口に盛大に塩を塗ることになるだろうから。
この話はこの次、嬢の姉さんか2人目の妹かが登場するまで取っておこう、と少し意地悪な気持ちで思った。
(了)
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