2024.7.5(出社日記まとめ)

6.19

 同じ職場の下品でパワハラっぽい上の人がなんか言ってるのが「コロナで……マーライオンみたいな……」と断片的に聞こえてきた。どっかで聞いたような喩えで笑いを取ろうとするのは恥ずかしいという感覚は、俺の周りとかだけのものなんだろうかとか思う。

 先週二回も下北沢に行った。二回目は、彼女が食べたがっていたスープパスタの店に向かったのだが、ワンオペらしくめちゃくちゃ回転悪かったうえ、並んでる間にスープ切れですと言われてしまった。まあ、別にイライラまではしてなかったけど「何でもいいなあ」と思ってはいたので、「うし、じゃあちゃっと次行きますか」とさっさと歩きだしたら、「なんでそんなにすぐ切り替える?」と怒られてしまった。
 で、つい、どうせだめなら気持ち切り替えて次行った方がいいじゃん、といかにもオタクの"正論"っぽいことを言ってしまったのだが、たぶんそういうことではなく、並んでる間に興味がなくなったのが態度に出ていたのだと思う。「優しくないときがある」と言われた。たしかになあ。そういうのが出るというのは距離感の問題というか、まあ甘えなんかなとか自分で思ったりする。家族とか、親友に対してほど傍若無人なとこが俺にはあるのだろう。んー。

 朝から信じられないほど眠かったのでレッドブルを入れてしまった。一時間くらいすると、それまであった眠気の七〇パーセント位がカットされた。都合はいいけど、こんなのっておかしくないか。効きすぎ。

 職場でデオドラントスプレーを吹いたら勢い余ったその、剤が天井へ向かって真っすぐのぼっていった。空気より軽いのか。

 下北沢。世田谷なので、もういい加減きれいにされて判を押したような清潔感のある若者だらけになっているだろうと思っていたけど、予想外に混沌とした雰囲気をまだ残していた。有名なだけあっていろいろなところから若い人がやってくるんだろう。言ってみれば昔の原宿のような(行ったことないけど)、これっておしゃれなの? ってのがちょっとわからないけどとにかくこの人は服が好きなんだろうな、という人がいっぱいいる感じ。
 たとえば三軒茶屋や三宿で「おしゃれ」な人たちはむしろ自分がどう見られるかということを内面化しているようなイメージだ。全員のトーンがあまり変わらないというか。世田谷に長く住む人は「世田谷なんて田舎だからね」というけれども、あれはあれでムラ的な同質性なのだろうか?

 先日の会社の飲み会で、例によってハイになりまくり「福地はよくしゃべるね」という流れになったとき、ここのところ昼飯に誘ったりしていた同期が「ほんと、2分で(聞いているのが)限界」といいだしたのがショックだった。まあ、冗談だったかもしれないし深い意図はないのだろうが、「ああ、誘ったり話しかけたりしてたのそういう風に思ってたんだ」とかく自意識の強い俺はそう思ってしまったのだった。なんか、こういうのずーっとやってる気がする。まあ昔と比べたらショックは少ないけど。

 俺の中には特にそういう、あまり気を許してもいない人との飲み会においてやたら喋ってしまう性質というか、強迫観念というか、があり、しかしそれはもともと人と話すのが人一倍苦手だったというところからきているので、いまだに「頑張って喋ってたのに」という意識で受け止めてしまうことがある。でも根本的におしゃべり好きなんだろうな。内容がどうこうというところと、言葉をつないでいくゲームみたいな感覚が同時にあって……まあ、つーか、日記と同じだ。Twitterとか。とにかくずーっと何か出力してられるという。酒飲んでたらとくに。

 以前従兄弟に「Twitterを見てたらあなたの人となりがなんかわかった」と言われたことがあった。それを親友の一人に「なんかそうらしいんだよ」と話すと、「優ちゃん(俺のあだ名)の場合、内容っていうか量だよね」よくこんなポンポン出てくるなっていうか。まあそれはそれで俺の性質なんだなと思っている。ようはツイ廃(死語ですが)ってことですか?

 まあ、そう考えると俺のしゃべりっていうのは自己目的的であって、ただ自分が楽しいからしているだけで、それは自分語り止まらんのと同じかもしれない。日記も基本自分語りだもんな。まあ世間で言われるほどに自分語りって有害なの?って話はあるにしても。

 会社の歴史オタクの後輩にコロンブスの話題を振ってみた。Mrs.~のことは全然知らない様子だったが、コロンブスの評価が変わっていることについては「なんだか悲しいですけどね」という返答だった。「歴史オタク的な見方かもしれませんが」と。うーん? 不思議に思ったので、でも歴史っていうのはこれまでも記述されてきたものでしかないわけだから(あなたが読んできた教科書についても)更新されるのは当たり前じゃない? 歴史とはそういうひとつの物語だとしたら、人道はもっと先に立ってもいいんじゃないか、と言ってみたが反応は芳しくなかった。まあこの理屈自体は自分でも正しいかわからないけど。でも、自分の知っている「コロンブス」という人物……キャラクターみたいなもんなのだろうか、の評価が下がるのが悲しい、という感覚は、想像はできるがわからない。たとえば友人であっても、「評価」が変わってしまうことはありうる。「男子校時代の面白い友達」が、10年後も全く変わってなかったらどうなるか、とか。

 上から妙に親しげ、は「なれなれしい」とか「偉そう」とかになるのかもしれんが、下から妙に親しげ、はなんだか「へつらい」に見えるかもしれない。この「妙に」のエッセンスが微妙なところだけれど。

6.25

 今年中古で買った真空管アンプがもうへたってきて、音量があんまり出なくなってきた。たぶん。スピーカー交換までしたのにもったいない。でももともとひずみっぽくて、マスターを全開にしておいてもライブで十分な音量にするとすぐ歪んじゃうので、まあちょっと、このアンプではないなあと思っていたとこで、ま、しゃあない。こういうのを買って、改造して、にかかったお金-売値の差分を全部「情報代」として「まあいいか」にしてしまうとこあるんだけど、当然お金は減っていっているのでよくねえ。

 先日ストラトを買って、ナットがダメだったのでTUSQのを買って削ってつけてみたが、そもそもネックというかフレットがだいぶだめで、6弦の全フレットでバズが出るのでもうこれはしょうがないなとなり近所のギター屋に売ってきた。店主としては「ネックは大丈夫そうですね」ということだったのだが、あれが「フレット修正すれば大丈夫」ということだったのか、「このくらいならもう売っちゃってOK」ってことだったのか、よくわからなかった。

 最近「顔ない」ってスラング? がはやっているらしい。なんだそれという反応が増えてるが、要は我々の世代(のツイッターのオタク)が言うところの「感情がなくなった」じゃないのかね。感情がなくなったって表現考えたの誰だろう。小林銅蟲あたりっぽいけど。

 疲れた。なんか、普段に比べて忙しいということもないのだけど。何でこんなに疲れてるんだろう?

6.28

 午後から出社。とんでもない雨。駅で待っている間の音がすごくて、流速の速い大きな川の横にいるみたいだった。今日は会社の同期の飲み会であるが、別に楽しみでもない。普段チャットしている同期と、「よりにもよって」という話をしている。「あいつが雨男なんじゃない?」「そうだったら面白い。というか、あ~ってなる」ここで書いて思ったが「あいつ雨男だよなあ」と言われがちな人って、どっかで「スベってる」と評価されている人な気がする。美術サークル時代にも二人いたが。みんな「なあんかあいつが張り切ると…」って、無意識にせよ思っているから「あいつが来ると雨が降る」というのがなんとなく説得力を持ってしまうのかもしれない。我ながらひどい言い草だ。友達の間で「福地は雨男だからなあ」と言われてたらそうとうショック。

 比較的新しい友達と会うとき、「この中で俺はスベってないか?」っていう不安を抱えつつ、それを埋めるためにかえって冗談を言ってしまう(しかも自分の中でしかつながってないような)ところがあり、あとで「あ~あ」となる。こないだ常連が仲良い系の店に一人で飲みに行って、かなり飲んでたのもあるがやっぱり「いや~そうっすか!? ハハハ!」みたいな態度を取ってしまった。まあそんなところでスカしててもしょうがないのだけど、自分のこういう媚態をシラフのとき意識するとげんなりくる。いつだって自然体でいることはむずかしい。逆に彼女に対して、そのまんまの感じで接しているせいで「怖い」と言われたりもする。

 父に新卒の頃、「お前はそもそも人づきあいが得意じゃないのに酒を飲むとそのラインを越えちゃうところがあるから気をつけろ」と言われたのを思い出す。まあほんとその通りで、それも良くないとはわかっているのにそのために飲んでいるところもどっかにあるのだろう。

 父が指摘している通り俺はそもそも人づきあいが苦手である。小学校のころまでは家にまっすぐ帰ってきては絵を描いたり本を読んでいる子供だったし。自分の言いたいことが友達社会に合わなかったり、みんなが反射神経でできる会話の感じがわからなかったり。そもそも自意識が巨大すぎていちいちプライドが邪魔をしていたのかもしれない。あるいはそういう状況が俺を自意識過剰にしたのか。

 そこで割り切って孤高の道を選んだり、あるいは普通にあきらめて三十超えても自意識の話してる人もいるが、自分はそうはできなくて、とにかくみんなの中で居場所を確保したいという渇望はずっとあった。今も根っこにはある。先に述べた美術サークルの部室はそのための練習場所としてちょうどよかった。二十四時間開いてて、誰かしら居て、そこで誰かしらつかまえてしゃべる。

 何回か書いてるかもしれないけど、まず練習したのはツッコミだった。ちょっと前に出たワードを蒸し返すとややウケる、とか、なんかノウハウを一生懸命開発していた気がする。あと、俺は大学入るまで「説明」ができなかった。いわゆるエピソードトークみたいな。一個の話を頭から終わりまで話しきることができない。「…えーと、自分でもよくわかんなくなってきました」これで終わっちゃうことがよくあった。それで俺は「怪談」を練習した。よくしゃべる先輩の病院夜勤バイトの話をそのまま引き写して。これがまたうまくいかなくて、「…?ちょっと、何が怖いのかわからなかった」って言われたこともある。「どうすればよかったのか一緒に考えてみようか」まで言わせてしまった。今から思うとめちゃくちゃ優しいな。その先輩。

 時間空けて、まあこの話いいやとなった。今日って本当に文字通り仕事なくて、久々の「本物のヒマ」が訪れている。

7.1

 ずっと聴いてるラジオの新OPに明らかな「Are You Gonna Be My Girl(Jet)」のオマージュが入っていたのでコメントした。特にそういう返信があったわけではないが、こういう指摘がまるでパクリを糾弾しているかのように受け取られることもあるのだろうか。たとえばB'zの曲にはそういうのがよく入っているのは有名で(特に興味がないので詳しくはないが)前はよく「パクリ曲」みたいなまとめ動画が上がっていたものだ。音楽オタクの間ではそういう引用って当たり前にあることで、なんだったらそこで何を参照しているかが一つの評価軸になったりするが(『文化系のためのヒップホップ入門』でいう「本歌取り」とか)、知らん人だと結構ほんとに攻撃されたと感じることもあるのかもしれない。まあ、「パクリ」っていわれたらそうだろうけど。俺はそんなことは思っていない。

 友達の友達が「ロックはダサいし、聴いてるやつもダサい」というポストをし、そこにダサい、というか終わっているリプライがたくさんついていた。特に海苔みたいな長文を書いてくるおっさんがかなり目立っていたが、そいつはまだ、自分の弱みというかダサさをさらけ出している(まあ勝手にそういうことをやってくるあたりがまたおっさんの厚かましさでもあり、本物の狂人たるゆえんであるが)だけまだましと思わなくもない。そいつとは少なくとも何がどうだという話はできるわけだ。まあ、話になるかは別として。おれが飽き飽きしているのは、短文で揚げ足を取ったつもりになっているような連中で、つくづく反知性的というか、どうしようもないなと思ってしまう。長文で書いてくるおっさんはまだしもバトルしようとしてきているのだ。「年長者」の鎧だけ着て、こけおどしの論理をふりまわして。おっさんの説教っていうのはダルいものだが、それでも遠くから石を投げてくるようなやつよりましだ、と思ったりもする。

7.3
 久しぶりに曲のアイデアがわいてきて、イントロから一回目のサビ(コーラスとでも言いたいが伝わらないので)まで作った。一時間くらいしかかけてないのでもちろんだいぶ荒削りではあるが、久々にこれならおしまいまで仕上げられそうだなという感触がある。楽器のアレンジはけっこう楽しくやるのだけど肝心のメロディと歌詞がいまいち固まらない。そのうちにアレンジをガチャガチャいじって結果何がやりたかったのかわからなくなることが俺のよくある失敗パターン。学生時代は、そもそも内輪ネタのコミックソングですよという前提があったし、共作者も一応いて(まあ曲としての80%以上は俺がやるのだが)、歌詞は書いてくれたし、メロディも「大体こんな感じで」とうたってみせるともっとまとまった感じに返してくれたりもした。まあ彼は楽器も何もほぼできない奴だったが、それがかえってよかったのかもしれない。

 歌詞。裸で人前に出るようなもので、これがむずかしい。どんなんにしたって恥ずかしいんだから。そういえば、留学先でできたコロンビア人の友達に、例の内輪ネタ曲を歌ってみせたことがあった。「これは何を歌っている曲なの?」という質問に「これは、友達のことで…そいつは大学で何回も留年してて…それをからかった曲だよ」と返した。すると怪訝な顔をしていたので、「いやね、ラブについて歌うっていうのは、難しいんだよね、俺はシャイだからさ、自分がラブについて歌ってるっていうのがなんか…」みたいなことをダラダラ言っていると、もはや彼の表情は険しくなっていた。「どういうこと?」…なるほど。「自意識」とか「承認欲求」とか、そういう日本人特有の言葉はスペイン語圏にはないのかもしれない。情熱の国の言葉だもんね。そのあとなんとなく濁して次の曲をやったのかどうか。

 「こんなふうに思われたら恥ずかしい」とか、なんとかって本当につまらない思い込みだというのはよくわかっているのだけど、もう30年近くその世界で生きているからなかなか克服が難しい。だから、わざわざ「コミックソング」という言い訳を導入してやっていたわけだ。しかし照れ隠しをしていようがなんだろうがつくらないよりはつくっていた方がましに決まっている。

7.5

 梅雨、開けた? 開けてない? この数年梅雨めちゃくちゃ長かったじゃん、と同期に言ったら、去年は短かったよ、と返ってきた。えっと思って調べてみると確かにそうで、俺が言ってたのは2020年の梅雨だったようだ。その年は6/11から8/1とちょっと例外的に長かった。これがトラウマになって、「最近梅雨めちゃくちゃ長かったじゃん~」と4年間言い続けてたらしい。4年!? 大学卒業できちゃうじゃん。4年前。元彼女と同棲していた一年目くらいだろうか? あの頃はまだ薬も飲んでなかったし、しんどかったな。7月まるまる雨降ってるってさ。

 4年前。25歳か。そのときはまだ美術サークルとのつながりみたいなのがあって、出身者でバンドをやってたりなんだりしていた。ブルースもまだあんままじめにやってなかった頃。あっという間だなあ。大学以前と比べたら、そのくらいの頃の自分と今の自分とは地続きのような感覚があったけれど、今思うと全然また違う人間になってるだろうな。

 空き容器が灰皿として非常にちょうどいいのでプリングルスをよく食べる。しかし食いすぎて許容量を超えたのか、ある時からサワークリームがかなり受け付けなくなった。いまうましおを食べてて、これならしばらく食えそうだが、そもそもそんなに食べたいわけでないときに食うべきものではない。使い捨て可能で燃えにくくふたのつけられる、ちょうどいい灰皿がわりはないものか。

 職場のおじさんでたまにセクハラ質問をしてくる人がいて、毎回「それ不快だしダメですよ」と言っているのだが、治る様子がない。同期(女性なんだが)が、「あれが許されてるのは○○さんだけ」みたいなことを言っていたので、「別に俺は毎回許してないよ」と答えた。普通に話すし別に怒ってもないが、許してはいない。そういうこともあるだろう、というかみんな本当の意味で「許している」わけではなくて、職場でそういうことを言われることへの対処法というものがあまりないので、とりあえず流しているだけだ。その同期にしても、「あれで許されるのは~」っていうのはほぼ、「そういうフレーズがある」から言っているだけで、深く考えてはいないのだろう。しかしこういう人がもう少しことばというものに対して自覚的に自由になろうとすることはできないかと思わなくもない。俺だってSNSの言葉に踊らされてるわけで、偉そうですけど。

 カシオが80年代に作ったCT-310(カシオトーン)というシンセ、というか、なんだろ? まあ、電子鍵盤楽器が、5300円だったのでつい買ってしまった。いかにも電子信号を加工している音で、今はやりの「8bitアレンジ」的でもあるが、なんかそれがいとおしくて買ってしまった。とにかく俺はモデリング何とかみたいな楽器が嫌いなので(最たるものはアンプ)、チープであろうと、弾いたらその楽器の音がするというのが一番いいのだ。ま、まだ届いてないんで、わかんないんだけどね。動画で見る限り、エレクトリック・ピアノの音とか結構雰囲気ありそうではある。フルートの音を使って「Strawberry Fields Forever」のイントロを練習するのもいいだろうし、オルガンでジャズファンクとかを練習してもよいだろう。

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