2024.5.13(冷凍以後のおにぎり、インターネット以後の日記)

 ローソンで「鰆の柚庵(ゆうあん)焼き・おにぎり」というのを買った。なんでも石川・能登の「応援消費おねがいプロジェクト」だそうだ。おねがいが余計だからか、先日の「無痛おねだり」になんか語感が似てるからか薄気味悪かったがおいしそうだったしまあ能登に貢献できるならと買った。味はまあまあ。
 でも、この「柚庵焼き」という料理が石川にあることも知らなかったわけで、そんなローカルネタなおにぎりを全国で(?)売ってしまうこの時代はかつてなかっただろうなと思う。いわゆる郷土料理を、いきなりデカい流通に乗せてしまう。しかも単体で売るんじゃなくておにぎりに入れて。それまでは「柚庵焼きおにぎり」というもの自体が存在しなかったかもしれないわけで、おにぎりというフォーマットの「コメに合うもんならなんでもいけるだろ」という懐の広さを感じるところでもある。
 前にどこかで読んだけれど、冷凍技術とかトラックでの運送が発展する前は港町では海のもの、山村では山のものを食べるのが当たり前で、それ以外の選択肢はそうそうなかったわけだ。野菜は漬物に、魚は干物にしない限り遠くへは運送できない。そういう当たり前のことが自分の頭から抜けていることをたまに考える。

※追記 柚庵焼きってけっこうメジャーな調理法らしいです。恥ずかしい!

 めっちゃ今更だけど、サイゼリヤが番号で注文する方式になったことへの例のツイート。俺は氏の著作もツイートも好きでけっこう読んでいるんだけど、そのうえで、あれが炎上になったのは「本当にこれでいいんですか、と思わず叫びそうになった」という結びが、インターネットのオタクの「こいつはイジっていい」というラインにちょうど触れてしまったからだと思う。
 彼らにとっては実際の内容とか論旨はどうでもよくて、「なにか現行の社会に文句を言っている」と、今回の場合、「なんかセンチメンタルな物言いをしている」みたいな記号で認識して、それを反射しているにすぎない。「繊細な理想主義者様にリアリストな俺らがいっちょ教えたりますか」というイメージができ次第そういう行動に移すのだ。リツイートとは狂人に刃物を持たせるような機能だとかつてのTwitterの開発者がこぼしていたがそうですねというほかはない。

 しかしこのあいだそこそこ古めのローカルな居酒屋に入ったらスマホで注文するシステムが導入されていたのにはがっかりした。本当にこれでいいんですか、と思わず叫びそうになった。

 会社の電話に最近NTTの調査会社から「あなたは岸田内閣を支持しますか。支持する場合は1を、支持しない場合は…」といったような留守電が入っている。次に入ったら「支持しない」を勝手に押してやろうかと思うが、同期とその話をチャットでしていたら、彼女が「詐欺ではなさそうなかんじだったね」と言っていておもしろかった。「内閣を支持しますか」という自動音声から始まる詐欺。そんなものがあったらそれだけでショートが書けそうだ。

 太った歳上の同僚が特茶を飲んだ後にスタバのラテかなんかを飲んでいて「意味ないなあ」と思った。あるいはスタバのラテがどうしても飲みたいから特茶をあらかじめ飲んでいるのかもしれない。そうだとしたらちょっと親しみのもてる一面だなと思う。

 「トリリオンゲーム」を最近読んでる。まあ荒唐無稽というか、そんなうまくいく?? ということが立て続けに起こる漫画なんだけど、池上遼一の絵が上手すぎてなんか勢いで読んでしまう。Xにも書いたけど、絵の説得力というか、「なんか傑作っぽい」というブランドというか。「サンクチュアリ」もむちゃくちゃな漫画だったが(特に後半)やっぱりなんか面白い感じがして読んでしまった。まあ、どっちも普通にちゃんと面白いんだけど。

 通っているブルースバーで、俺が以前勝手に抜けたセッションにもう一回行ってみた。もちろんマスターには「厚かましくてすいません(汗)」と断ったうえで。そしたらその日の終わりに、マスターに「福ちゃんは自信満々」「自分はできてると思ってて、そういうのが音に出てる」「周りのことを考えてない」みたいなことを言われた。まあ、たしかに俺は高慢ちきなとこがあって、しかもできないというか、やる気がないというか、やる気のベクトルが間違っている人が許せなくて(ブルースに関しては)しばしばかなり攻撃的な態度をとる。それは自分の店を経営しつつブルースをやる人を育てたいマスターとしては迷惑な性格だろう。根本的に俺は人を馬鹿にするところがあるのは事実なので、これは反省している。たぶん友達でも「こいつのこういうところ何?」と思っている人はいると思う。
 でも、自信満々とか、それが音に出てるとかはどうなんだろう? まあ、ある面ではその通りだが、別の面ではそうじゃないと思う。俺が「自信満々」だとしたら、それは相対的な話だ。ブルース以前の楽器の技量が低すぎる人が多いし、こいつ何がやりたんだよという人もいる。俺からみたら、それはできてるできてない以前に志が低すぎるということになる。そういうやつに対して「おめー違うだろ、おれならこうするね」と弾く俺のギターはたしかにギスギスして聴こえるだろう。そういう意味では彼の指摘は正しい。
 でも同時に、おれは日々の練習で、モデルとするブルースマンと自分との開きはずいぶん意識している。そういう意味じゃぼやっとやってる人よりも、勝手に改変して「自分のブルース」とやらをやってる人より自信はないのだ。
 マスターは80年代くらいにシカゴに行ってレジェンダリーなブルースマンも観てる。俺は観てない。本物のブルースマンの神のような演奏を知らないからお前はそんなに傲慢になれるのだ、とどこかで思っているのかもしれない。そこは俺も気にしているところではある、というかだから想像で彼に言わせているわけだけど。しかし観てあきらめてしまうのと、観てないがためにあきらめていないというのはどっちがいいのだろうか。
 マスターはあきらめてしまっている。自分が本当に好きなブルースを真の意味ではできないということも、セッションのレベルが年々落ちていくことにも。もちろん彼が大病を患ったことや、一飲食店の経営者であることを鑑みれば仕方のないことかもしれない。でも、いくらボンクラをゆっくり傷つけないように「育てた」としてもボンクラはボンクラのままで、彼はそれもわかっているはずだ。というか、そういう人たちは心の底では別にやりたくないんだから。
 「自分はできてると思ってるのが音に出てる」というなら、何ができていないのか、本当はこうやるんだ、と教えてほしいものだと思う。そうでなきゃ、単純に態度が悪いといえばよい。
 結局のところ、ブルースを真剣にやる集団という理想と、年々人が減っていって、同時に経営のことも気にしなきゃいけない現実の折り合いがつかないのが問題で、自分たちも彼の与える場に期待しすぎていたのだろうな。国から予算が出てるわけでもないのだから。
 まあ、俺の性格が悪いのも、それが彼らにとって良くないというのもわかった。当分行かないほうがお互いのためだ。悲しいけれど。でも俺も最初はすんごい恐縮して、何か言われれば傷ついてこなくなったりとかしてたし、それを気を遣ってくれたのも彼だからなあ。まあそういう意味じゃ、お前は自分がサークルに入った途端そうするのか? という話でもあるかもな。でも俺って、ずっと真面目ではあるんだけどな。ブルースに対して。

 この話はこれで終わり。

 俺の小学生の時に「被害妄想」って言葉がはやったことがあった。あの小学生が言うときの独特な響き。「ひがいもーそー」。そもそも統合失調症の症例とかにいう言葉なんじゃないかと思うと、あんまり軽はずみに遣うべきじゃないなと思う。あとあれやな。「ナルシストじゃん」とか。あの頃の子ってなんでも「ナルシ、ナルシ」だった。なんかそういうトーンの言葉じゃなさそうだけどなあ、と薄々感じてた気がする。

 これ何度も書いてるんだけど、「無痛おねだり」ってマジでなんなんだ? 女性とか出産のことわかってないとか、当然そうなんだけど、それ以外に語彙としてキモすぎる。あのキリッとした顔で頭ン中には「無痛おねだり」なんてのがインプットされているのだ。もちろんまっすぐ怒っている人もいるだろうし、まったく正当な怒りだと思うが、どちらかというと「ドン引き」してる人が多いのではないだろうか。

 おとといはさっきのことがあって飲みすぎたので、昨日は二日酔いで寝つぶしてしまった。昼に起きて飯を食い、マッサージに行って、また寝て、晩飯食って、銭湯に行った。回復の一日。それも悪くないが、そもそも調子を下げないような飲み方にとどめたいものだ。

 マッサージに行くと「この大きな身体だと…」と毎回言われる。たしかに小柄なおばあさんとかを相手にしていて急に俺が来たら、ウサギと大型犬くらい感覚が違うだろうなと思う。そこから人間というのは本当に動物なんだなとか考える。骨格があって、筋肉があって……
 「じゃあ腕を上に回してくださ~い」「は~い」「…あの、気を遣って毎回返事しなくていいですよ」「いや、特に気を遣ってるわけではないんですけど」「まあ普通の会社で返事しなかったら大変ですよねえ」「いや~ハハ」彼は凄腕のマッサージ師なのだが、けっこう変わっている。だいたい予約の時にも名前を聞かないし、絶対に目を合わせない…というか、最後は俺に対して70度くらいの角度をつけて壁に向かってお辞儀するくらいだ。顔や名前じゃなくて揉んだ時の身体の感触で憶えているんじゃないかとひそかに疑っている。たぶん返事されるとやりにくいのだろうから、次からは黙って腕を上げよう。

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