2024.7.18(割り込み野郎)
出社二日目。予定通りならこれから出社が常態化するので、もはや「出社日記」とか適当なタイトルをつけている場合でもない。よほど忙しくないかぎり週5で書くことになるだろう。それは良いのか何なのか。
喫煙所で並んでたら目の前で隙間に割り込んで吸い出そうとした奴がいたから、「並んでるんで」つって声をかけた。しかし、もう世間は「コロナ明け」をした体で動いているわけだし、いまさらただでさえ狭いスペースを定員5名で使うために並ばなければならないというのはナンセンスだ。結局行政が「それで回ってんだったらそれでいいや」とほっといているだけのことを遵守しようってのはダサい態度といえる。
ただ実際に声をかけた俺の心もちとしては、「舐めんじゃねえぞ」だったと思う。どうあれ目の前で割り込まれたらいい気はしない。
俺にはこういうところがあって、つまり舐められることを異様に恐れている。これは高校までの間に蓄積された「舐められ」の経験からだったろうか。
しかしヘラヘラしていることもよくある。コミュニケーション弱者とみなされる(=舐められる)ことを恐れているからだが、ヘラヘラしている自分こそ舐められてしまうのでは……、という、自意識のウロボロス。逆に、「舐められ恐怖」から無礼な言動をして、あとから「アーーーーー」と思うこともある。
こういうつまらないことから解放されないと音楽にも支障をきたす。しかしもともと俺がギターを一生懸命練習してたのは舐められたくないからでもあったのだ。だからそこをそもそも反転というか、解脱というか、しなくてはならない。
こういう自意識をアイデンティティにして書き物とかをする人はたくさんいるだろうし、そうして書かれたものが面白くないとは言わないが、俺自身がやっていくのはごめんだと思う。自分で見ていて、それはユーモラスでもチャーミングでもない。単にダサい。でもこんなことを書いているうちは真にそれを抜け出そうともできていないのだろう。アイデンティティにしてるかはさておき……。
今日二回目の「喫煙所の列を抜かされる」があった。なんでだよ。一回目は若めの男だったが今度はちょっといかついおっさんで、つい気が引けた(こういうとき自分の姑息さを強く意識する)。で、声かけるのはやめて、もう俺も人数制限を無視して隣でいきなり吸い始めることにした。そしたら気まずかったのかすぐにいなくなった。
なんかこういうことって時々やってしまうんだけど、ほんとなんというのか、よくないのかもしれない。
同期が「マッスルスナック」に行ってみたいと言っていた。馬鹿じゃのう、と思ってしまうが、男がガールズバーやコンカフェやキャバクラに通うのはもっとだろう。か?
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