Threads抜書き2024.7.21

「おしのこ」っていうと年配の人は差別用語の方だと思うらしい。言われてみりゃそりゃそうだ。

しかし「左派はイメージ戦略が下手すぎる、それこそ電通に学んだらどうか」みたいな言説がいっぱい出てきており、ほんとそうだなと思うんだけど、反面、そもそも自分の潔癖の部分がこの思想を支持してるようなとこが俺にはあるので(つまり電通的な「宣伝」なんてカスだと思っているので)なんというか最初から食い合わせが良くないような気がしてしまう。

我こそは良識派であると信じているので、どうしても「誠実」で「地道」な活動で訴えていればいつかは…とどうしても思ってしまうのだろうが、そのナイーヴさがまた批判されているのだろうな。

俺も中学の頃「詭弁」ってカッコいいと思ってたから、ひろゆきとか今回でいうと石丸が(それにしてもあれは何にもなってない気がするが)若い人に人気ってのもまあそうだよなとも思う。

先日何の気なしに撮ったStrawberry Fields Foreverのギターコピーが身内からの評判悪くないのは、なんつうか機械的にやってるから俺の自我みたいなのが出てなくていいんだろうな 機械的というといい意味合いはないけど、これまであまりに「自分の表現」みたいなことを(誤った形で)考えて弾きすぎてきたから、マジであんまりやってきてないようなタイプのギターをあえて「機械的に」弾く練習一回した方がいいのかもしらん。

何かのグラドルのイベントで、おっさんがパイプ椅子にずらりと座ってる室内で本人だけ水着で登壇してるみたいなのが流れてきて、キモいというかその絵面の異様さにびびってしまった。

今年祖母宅に集まった時に祖母にこそっと呼ばれ、「(従兄弟)の就職祝いにパソコンをあげることになっているけど、あなたのときは私の感情的にネクタイ一本で済ませてしまった。もし何か欲しいものがあったら今からでも買ってあげる」といわれ、まあその時期のおれ、本当に親戚の集まりで荒れてたからなあ、ばあさんには悪いことしたなあと振り返りつつ、「ファーー」と思った。

俺の師匠たち、ブルースのことになると完全に目がキマる 俺も目がキマる領域に行きたい。

ジョンメイヤーやSRVワナビーの「ヘンドリックスカバー」はいっぱいあるけど、「表現力」自慢みたいになってて気持ち悪い。

年々、90年代への憧憬が強くなる(もちろん倫理観とかジェンダー感覚とかはきついと思うけど)が、これが歳をとったということだろうか。インターネット以前の世界。

こだま和文のライブ行ったら真後ろに坂本慎太郎いたのほんと忘れらんないだろうな。オーラってああいうことを言うんだ……と思った。

Otis Reddingもポリープできて手術してるくらいだからやっぱああいうシャウトするスタイルは普通に喉に負担かけんだな。しばらく声楽の勉強してたけど、当然ながら自分のやりたいのは声楽じゃないわけで、まあ適宜ヒントもらいつつ自分なりにやらなきゃな。

友人から借りたマイブラのLovelessを聴く。オリジナル・テープから起こしたリマスターをかけて、なんか自分がハマらなかった理由を再確認する 再生環境のせいだろうけど、やってることのわりにあんまり音圧を感じない音だったんだな。CD2のオリジナル・アナログ・テープってのをかけるとこっちは好みに近い。

セラミック磁石のC10Qの方がキャラは強いというか、スピーカーの音がしている感じがする。それがフェンダーっぽさに寄与しているといえばそうっちゃそうな感じ。逆にアルニコのP12Rだが、俺はそもそもツイード期のフェンダーを弾いたことがないのでそもそもどういうものかよくわかっとらん。元よりは密度と立体感があるような気もするけど。

まあそもそも口径も違うし比較できてるわけではないけど。アルニコの方がギターアンプ用として癖はないというか、普通に上質な感じ。

思うにアルニコのP12Rはそもそもの入力に忠実に出るのでRolandの硬めの音がそのまんま出力されてるのでは。C10Qはもっとスピーカー自体のギンギンした感じが出ててそれがギターアンプらしくいい方向にいってるような。

ある友人は「すぐ帰るんで」と言ったら俺が「えー飲んでくかと思ってビール買っちゃった」みたいなこと言っても「それは本当にありがとうございますなんですけど、」と言って普通に帰るんだけど、これ皮肉抜きで俺が見習うべき姿勢だなと思う。人の顔色を見過ぎない。

B.B.Kingの「Sweet Sixteen」、Chuck Berryの「Sweet Little Sixteen」、Sonny Boy Williamson Iにも「she was sweet sixteen」って歌詞があるが、sixteenっていう語呂が良かったんだろうか。彼らがみんなロリコンだったというよりは定番フレーズとして受け継がれたのだろうという感じがするけど。

ローリング・ストーンズをメインで聴くのもいいしそこからブルースまでたどろうっていうのはそれだけで相当勉強家といえるのだが、あくまでブルース界隈にいる人、という意味だと、いやまあそういうのもいいですけど、こっちはブルースそのものがやりたいんですけど…と思わざるを得ない。というのは、前に「ブルースのコアな部分をやるにはアコギ時代のマディをやらないと」みたいなことを言ってた奴がいて、ああだこうだ議論したんだけど(というかそいつは議論することを攻撃されることだと思っているので、議論にもならない)、「で、もし仮に理想の完璧なメンバーが揃ったとしたらどんなんやりたいんすか?」と聞いたら「ストーンズ」って返ってきた。向こうはもうそんなつもりもなく素なんだろうけど梯子外された感じがして、「ええ? じゃあこれまでの話関係ないし、ストーンズやりたいんやったらストーンズのコピー詰めた方が絶対早いですよ」つっちゃった。

普通にストーンズが好きな音楽好きってことなら、ほうほうマディまで辿ってるんですか、結構ですなあとしか思わんけど、それでブルース真剣にやってますみたいな顔されたらお前それは違うじゃんって話。

歴代の彼女と、その間でしか通じない(たわいない)言葉を作ってるんだけど、そういうオリジナルの言葉を持つということがひとつ親密さの演出になっているのだろうな。

小島秀夫(見た目は全然小島秀夫じゃない)がなんか教室にブルースの映画を撮ったっていって上映会みたいなのにきて、最終全然ブルースの映像出てこないもんだから「えーとブルースマンにインタビューした内容でカットしたようなものがあれば聞きたいんですが」と質問したら無視されてバチギレし、おい!ブルース全然ちゃうやないかっつって本気でどつきまくる夢を見た。


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