Threads/X抜き書き2024.5.6

日本語がロックよりフォークのほうに適性があるかはわからんが少なくとも昔のフォークの人は日本語でちゃんとやることを考えていたんだろうなと思う 吉田拓郎らへん

国文学ゼミいたときそういう研究したけど引用で埋めてろくな論文にはならなかったからあんま言えることない。ちゃんとやればよかったけど当時じゃできなかったな…。

逆にロック側でちゃんと日本語でやるってことを打ち出した(と評価されている)人たちってはっぴいえんどより以降にいるのかな。ゆらゆら帝国、というか坂本慎太郎はそういうことを考えていたらしい。

戦前にもジャズスタンダードに日本語詞を載せた「日本語化」は行われていて、それはそれで巧みなものだったらしい。もっとも当時の乗せ方は1音に1文字の、童謡みたいなもの。

そもそもモーラ言語である日本語を音節言語の英語の感じでメロディに乗せるにはどうしたらいいかっていうことを「字余り」的に詰め込むような譜割りでやったのが吉田拓郎とかのフォーク勢、ということになっている。

で、読んだ本によると、それをさらに進めてR&B調のものにも適応できるようにしたのが桑田佳祐であると。まあその辺を正しく評価するにはそもそもインストであろうと日本人にR&Bができたことあるのかよということになってしまうので、一旦置きたいが。

まあ上田正樹とか憂歌団みたいな「ブルース・ソウル」として出てきた人も結局演歌、歌謡曲になっていくあたり難しいのだろうなあとは思う。

もちろん言語の違い以前の問題が横たわっているのだけれどもね。

アコギのブリッジピンをボロボロになってのプラからエボニーに変えてみたけどそんなに違わないな。たしかにクッキリはした気がするけど。

上田正樹のオーティス・レディング「スタイル」の追求は大したものだし、歌唱力についても言うに及ばずだと私も思ってはいますが(有山淳二とのアルバムとか好んで聴いていたので)しかしこれが結局「おもしろ」に捉えられてしまうのをオタクのリテラシーのなさで結論づけてしまっていいのかは疑問ではあります(もっともネットのオタクは当然そんなことを考えているわけではないが)。

わたしはブルースを志すプレイヤーいち個人としてウエストロードブルースバンドとかは本当に良くないなと思うけど、まあ文脈で言ったら日本にブルースを持ち込んだ人たちであることはたしかではあるし、その辺の視点の違いかなあ。

まあそれこそビートルズはモータウンを「取り入れ」たわけで、Drive My Carが個性を獲得しているのはオーティスレディングのコピーを「出来てない」からだとは思っているので、なんもかんも原理主義ではないのだけど、それはそれとして自分は原理主義的な立場をとっている。

ブルースとカントリーは相互に影響を受けて…っていうのも承知してるわけだけど、しかしこういう立場を取ろうとするのは、自分が能動的に集めた情報だから、というのにすぎないかもしれないな。

自分でインタビュー訳した人が「ストーンズもビートルズもみんな俺たちの真似なのに俺たちの何百倍も儲かってんだよ」とか言ってたらそれはそういう考え方になってしまう。しかし俺自身がブルースをやろうとしてる非・黒人であるというのもまたあるわけで…なんか色々矛盾があるな。

たいへん初歩的なことしか言えないのだけど、ビートルズとかストーンズ、クラプトン自身に「自分たちが上」という意識はなかったとしても(特にクラプトンとかは、あれだけ好きならそんな意識は持ち得ないと思う)実際に売れたのは圧倒的に彼ら側なわけで、それは彼ら自身が悪辣なことをやったというよりはもちろん構造の問題ですよね(インタビューの人にしても「俺たちがやっても見向きもしなかった奴らが白人ってだけでみんなもてはやす」という文脈であって)。

まあいち原理主義者としては、ブルースって言ったらまずクラプトン、SRV、ジョンメイヤー、デレクトラックス、デュアンオールマンが出てきて、せいぜいB.B.やアルバートキングやロバートジョンソンが「彼らに影響を与えた」っていうあべこべな文脈で取り上げられるに過ぎない(そして白人や日本人の「ブルースファン」の多くが悪気もなくそういう態度を取るのをネットでは多く目にする)のは、心情的にイヤ、というだけですね。

70年代以降はストーンズやクラプトンにフックアップされた人しか「成功」してないわけですよね。まあそもそも(アメリカ)黒人市場自体も大きくないし、黒人自身がブルースというものを見放していった経緯があるからそれは資本主義的な淘汰と言えなくもないけれど。

まあ俺がもう少し社会的に大きな視野を持てていたらこうやって単純に「マイノリティ・黒人」に感情移入することはできないだろうなあと思いつつ……。

黒人だってアジア人差別するわけだし、日本人は日本の中で黒人差別してる(BLM時のネットにどれだけ醜悪な発言が飛び交っただろう)というのもあるし、もはや心情的にも折り合いはつかない部分はある。

まあ、しかし、これは全く違う話だけど、身の回りの「シカゴ・ブルースファン」にも、そもそもLittle WalterやJunior Wellsが好きなのに、わざわざそれをコピーしてる白人バンドやジミーヴォーンのバンドを聴く人ってのもいるんだよね。なんというか、遠過ぎてできない(わからない)だからよくできたコピーをコピーするっていう心の動きがなんかあったりする。俺自身J.D.SimoやKid Andersenといった「ブルースマニア」のギターを一度経由してコピーしようとしてたことがある。

なんとなく、いわゆる「本物」のブルースは本質的に異質というか「わからない」という意識があって、それゆえにコピーのコピーをするみたいなのがある。それはもちろんその人がもともとクラプトンから入ったとか、そういう事情はあるだろうけど。

シカゴ・ブルースに限っていうと、そもそも音楽で食っていけてた人は50年代ですら一握りで、自分名義のレコードを出してた人でも昼間はトラックドライバーとか公園の管理人とかやってたのが普通ですね。でけっこう儲かった人はクラブを経営したり事業をやったりする。そういう人の一人に言わせれば、「シカゴにはいいミュージシャンがいっぱいいるのに外に出るのはMuddyとかそのあたりだけであとはみんなパイを奪い合ってる」と。

当時から大卒の黒人ミュージシャンというのも案外いるにはいるんだけど(特にシカゴで生まれたような世代は)多くは自分の名前を書くのがやっとというレベルで、そもそも音楽で「身を立てる」というのにもいわゆる学がいるわけだし、仮にできてもあらゆる人種的な逆風があるし…で、昼は別の仕事して、パートタイムで音楽やってた人がほとんどでしょうね。つまりなんというか、貧困を脱したり、シカゴを出ようにもそのような視野を持ちようがない状況ではあったのでしょうという。あのChessレコードはWillie Dixonが経営引き継いだけど、やっぱりうまくいかなかったらしい。

それをまあ、ロックの殿堂つって白人の審査員があとから選んで「殿堂入り」させるみたいなのは、まあこないだのオスカーと同じで勝手にやってるに過ぎないは過ぎないんだけどやっぱグロいのよな。Etta Jamesも受賞時に「あべこべだ」と言っている。

John Primerのインタビューを訳した時、「デレクトラックスらのブルースフュージョンについてどう思いますか?」と問われ、露骨に言葉を濁していたのが印象深い。B.B.にしても、白人に食わしてもらってる以上下手なことは言えないというのがあっただろう。言えるのはプランテーション時代の話だけ。それらは白人にとっては「過去の話」だから聞く側は平気。

おもしろいもので、ジャガーでベンチャーズ弾くとリバーブのかかり方から違う気がする。ベンチャーズなんて弾くのが久しぶりすぎて比較もできないけど。

ギブソンと比べたらさすがに違う なんつーか実音よりリバーブが強く聴こえるような、エコーみたいにスラップバックして聴こえるような。ベンチャーズおじさんたちがモズライトやジャズマスターでないとあの音はしないと言うのはまあ一理はあるわけだ。

さすがの俺もベンチャーズおじさんなどというガチのジジイとは接触したことないけど。

ギターなんか買ってないでちょっとマシな真空管アンプを一台買うべきかもしれないと楽器屋行って思った。12インチスピーカーはやっぱ違う 前に自分で12インチないとだめっていってたのに10インチのアンプ買ってもたからなあ。

フェンダー系とギブソン系の箱物がそれぞれ一本ずつあって、それらがそれなりにまともならいいのかもしれんなあ。

なんか飲む店選びとかにも俺には広い意味での思想みたいなのがあって、それがめんどくさい方なのだろうけど、しかし自分のそれを「思想」であると自覚している時点でまだ話はわかる方だと思う。

逆にチェーン店しか行かないみたいな強固な世界観を持った人とかもいて、そういう人はそれがひとつの思想という自覚がない、というか相対的に世界を見られないので話が通じないと感じる。

大鶴肥満って俺の二倍体重あるんだ。さすがにガチの肥満はまたレベル違うな…。

お客様は神様みたいなのはくそくらえだと思ってるからたまには店員がバチギレる展開もあっていいなどと思ってもいるが、
しかしこの場合店員は明らかに体格のいい男で、相手の客は弱そうな爺さんで、止めてる人は女性で、この先にあるものはほんと障害者施設で殺人とかそういうものだよなあ。

日本的な接客業において店員というのは弱い立場であるとされているから最初の1行みたいなことを思うわけだけど、それ以前に暴力(という力)の不均衡があって、これはそれに乗っかった店員の傲慢さのように見える。もちろん腹に据えかねることは色々あったのかもしれないが…。

と思うとやっぱりなんか、自分の行いについて考えてしまうな。普段から女性に対してつけ回してるように見えないかどうかとかすごい気にしてはいるけど、たとえばおっさんへの感情とか、根本には暴力性を抱えていて、それは弱いものイジメの心性なんじゃないかと日々不安定に感じている。

たとえば盗撮おじさんにイヤな思いさせたろうとか、俺が183cmの男でなかったらやっていたか?

作業しながらタバコ吸ってもあんまそういう感じないけど席離れてじゃあ一服、と吸うと急にダルになるよな。

こうしてゆっくりふとんでゴロゴロしてると、中学から大学まで俺がそうしてると気に入らない父がドンドンドンと階段を上がってきて怒鳴ってた時期を思い出すな。

いっそのことジョン・メイヤーとかデレク・トラックスを「ネオブルース」とでも呼んで本当のブルースとは区分けして欲しいものだ。

日本のライブでみんな一律に同じ動きするのは北朝鮮みたいで大嫌いだとずっと言い続けてるが(それこそ高校くらいから嫌い)特にこのうえ言い足すこともないな。ずっと終わっているから。

日本のライブの観客はみんな「応援」しに行っているというツイートを見たことがあり、ほぼそれに同意する。

手を挙げるな、いや手を挙げるのも許すのが自由だとか議論されてるのが馬鹿馬鹿しい。あんな意味不明な同調圧力しぐさは一回潰さないとどうにもなんないだろう。

結局のところ「音楽を聴く」ということを低い次元でやってる人が多すぎるのが根本的な原因でもあり、そういう人がやってる議論がそもそも空虚なのだよな

ひどいアルバムカバーだけ集めてる海外のコミュニティがあるんだけど、見てると当然のことながら俺が認知している音楽なんてほんの一部で、こんなにも世界には知らないレコードとかCDとかが出ているんだというのをひしひしと感じる。ところでクリスチャン向けのポップソングみたいなのはひどいのが多い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?