Threads/X抜き書き2024.5.14

大した話ではないんだけど、「凄いデカい」は間違いで「凄くデカい」が正しいのはわかっちゃいるけど、「凄いデカい」の方が勢いがあるからそっちを使っちゃうみたいなのあるんだよな。

『薬屋のひとりごと』中学の時にモバゲーかなんかで読んでた「歴史好きの女子高生が幕末にタイムスリップ!男装して新撰組の隊員になることになってしまい…?」みたいな夢小説を思い出してしまうぜ。

実際女の子が新撰組なんていう野蛮な時代の中でも野蛮な集団に入ったらたとい男装であろうととんでもなく酷い目に遭っただろうな。そもそも衆道とかあったわけだから。

昔のTwitterも典型的な「マスゴミ」とかいうタイプのオタクがめちゃくちゃいて、そっちがマジョリティみたいな感じでカウンターもあんまいなかった気がするし、ワロスbotやサザエbotやcopy_writingが無断転載して幅利かせてるしでそんなに良いところでもなかった。

昔箱根かなんかのコテージでクリームチーズのたまり醤油漬けみたいな瓶詰めを美味しい美味しいと食べてたら父が「こりゃ酒のサカナだな」と言ったのをなんか覚えてる。

酒の供に、みたいな意味でサカナという表現は「どろろ」で初めて知った。「娘たちが踊りますからサカナにしてくだされい」みたいなセリフ。

結局俺は本質的に悪い人間な部分かなりあるってことを考えてしまうな。

椎名林檎やそれに影響を受けた人が使う「嗚呼」が全部「oh!」に置き換わるツール

子供の時からJ-Pop大嫌い、ドラマ嫌い、メジャーなもの嫌い、体育会嫌い、生徒会嫌い、学校の先生嫌い、みたいな逆張りのパソコン君でずーっとやってきてて、そのうえニコニコとかアニメとかサブカルの人が通っているようなものもあまり通らず生きてきたから、本当にコミュニティで定住したことがない。

サークルなら卒業したら一部の人だけの付き合いになるし、小中高の友達に至っては一人もいない。まあ、すごいホモソーシャルだったりしたからある面では正しいのかもしれないけど、別にそういう倫理的な判断で離れてきたわけではなく、とにかく自分は定住できないらしい。

ブルース界隈にしてもビートルズ界隈にしてもなんかしら揉めたりとかしてほぼ離れちゃうし。まあそのうちで、合う人とだけは繋がり続けるからいいのかもしれんけど。

ただ、なんか普通に自分の人格が攻撃的すぎるとか、酒飲むと特にそうだとか、特に高校までは他人の気持ちが全くわかんなかったとか、ちょっと見下したようなことを言うとか、普通に人間としてカスの部分があるせいでもあるので、一匹狼みたいなかっこいい話ではない。

中国系アメリカ人のコメディアンが差別ネタで「黒人のすごいところは自分たちへの差別用語をポジティブに転化させたところだよね。仮に僕らがやるとしたら、What's up, chink!」ってやってて、まあ俺も面白いと思ったけど、これは差別に対してのカウンターになっているのか、自分を良識的だと思っている白人が、自分の代わりにアジア人当人が「chink」と言うのを楽しんでいるのか、わからないとこがある。でもブラックジョークってそういうものなのかもしれんけど。
インスタとか見てると白人が黒人に金を払って自分の代わりにNワード言わせるみたいな動画が結構ウケてたりすんだよな。まあ黒人もそれで笑ったりするのか、白人と一緒にそういう動画を作ってる若い黒人とかもいるけど。
アメリカの若い層だとそれが「一周まわった」感覚があるのだろうか? あるいは、Nワードを禁止しようが警官の暴行みたいなのはなくならないわけで、空虚な規制だと感じているのか?どのみち「一周回った」かどうかは黒人たちが決めることで、白人がそういうこと言い出すのは完全にファッキンブルシットだと思うが。

そういえばブルースだと、クラプトンやSRVといった白人が黒人をリスペクトして、黒人の中でも人気がなくなっていたブルースを「復活」させた経緯はある。でも、今白人や、普通にアジア人もブルースといったら大半がクラプトンやSRVやジョンメイヤーだと思っていて、たとえばSRVはブルースじゃないよとか言うと「彼にはソウルがある、最高のブルースマンだ、音楽を愛しているなら肌の色なんか関係ない」と当の白人が言い出すことが実によくある。ブルシット。

デザインがやや良いという理由で4年くらいヤシノミとかECOVERとか環境に良い系の洗剤使ってたけど、久しぶりにジョイにしたらスポンジをギュッとやった瞬間から泡のパワーが違う。

 師匠は今メインで持ってるギターが74年くらいのグレコのストラトとそのくらいのギルドのS-100で、それまではZO-3で「練習なんやからこれで充分」て感じで使い続けてたんだけども、「ZO-3を人前に持ち出すのもアレだしそろそろまともなの買うかあ」と言い出したところに俺が「近場にこんなんありますよ」って教えたのがそのグレコだった。45000円。で、試奏して即決。あとで弾かせてもらったらバキャン!!みたいな強烈な音のするギターで、「こういう音欲しかったから」つってた。
 で、一年ちょっとくらい弾いて、「これだけだと出ない音あるなあ、60年代のLuther Johnsonのヌルッとした感じの音欲しいんだよなあ」と言い出したので、「彼が弾いてたやつじゃないけど同じギルドで近いモデルありますよ」と教えて渋谷に弾きに行ったのがそのギルド。で、それも一発でほぼ買うこと決めて、一応念のため他のヴィンテージも弾いてみたって感じだった。その確認に俺がついて行った。35万を一回払い。
 何が言いたいかっていうと、自分の欲しい音がわからないのにギターを買ってもあとあと満足することはない(俺みたいに)し、逆に一線を超えて「わかってる」人のところにはギターの方から寄ってくるんだろうなっていう。

俺はまだ本当に出したい音っていうのが多分分かってないんだよね。なんとなくあるにしても解像度が低い。だからいろんなギター買ってはああでもないこうでもないってやっている。

でも最近音は変わってきたというか、これまでに培った「繊細な」タッチを一回捨てにかかってる。まあフラットピック持てばできるにはできるんだけど。これまで、その「培った」タッチでもって弾きやすいギターを選ぶように意識的にしろ無意識的にしろしてきたんだけど、それはなんつうか頭で考えた欲しい音というか、自分のできることはこれって限界決めるような意識だった。

これまで「オオッ!?」と思ったギターは軒並みスカしてきた。もちろん手の届かないようなのもあったけど、メキシコのロードウォーンのテレキャスターとかは買っとけばよかったと思う。それをなぜかパスして2ハムのデラックス買った。それはなんか、自分の限界を自分で決めてたからだと思う。どこか狭い範囲でコントロール下に置くような。

まあそれはそれとしてセンスもやる気もないおっさんとかが金にもの言わせてヴィンテージとか買って自分の実力と関係なく楽器の力だけで「良い音」出すとかはしょうもないと思うけど。

というのが分かってきたんでレスポールとテレキャスター売れたらまあできるだけ買わんようにしてお金貯めようと思うけど。こういう気持ち忘れちゃうのよな〜今も手頃なストラト見てるし。

俺の日記ってTwitterの延長であって、そう考えると毎週あんだけ書けるのは当たり前なんだよな。Twitterレベルのことしか基本書いてないから。

やっぱ15年前くらいのうちって俺も含め全員まともじゃなかった気がする。俺がまともじゃなさすぎてみんなおかしくなったのか、親がおかしかったから俺もおかしくなったのかわからん。

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