2024.8.27(サクラップ)

 朝。ローソンで買ったいくらのおにぎりに珍しくしっかりいくらが入っていて嬉しくなる。今朝は目覚ましが鳴る三十分も前、つまり七時に目が覚めて、そこから起床ダメージ(起きて、アーーーとなる時間のダメージ)をしばらくぼーっとすることで軽減しつつ早目に家を出た。昨日は布団に入るのこそ早かったし昼寝もしていたにしても、いざ寝るとなると暑くて……そういう場合ってエアコンつけてても体が熱いのだ……、ごろごろ転がりながら苦心して眠りについた記憶があるが。

 櫻井翔のラップ サクラップ

 昨日はせっかく在宅にして、けっこう元気もあったのだが、ほとんどをゲーム実況(しかも昔見たやつ)を観ることでつぶしてしまった。こういうとき、せめて映画でも観とけばと思うのだが、この先二時間の予定を決めてしまうことに謎の抵抗があってなかなか観ることができない。たとえば20分の動画を6本とか、1分の動画を120本観るみたいなことはあっという間にしてしまうのに(こう書くとほんと病的だな)、こと映画となるとたとえば40分のショートムービーですら観るのをためらう。なぜ?
 たぶん俺の中に、映画(たぶん音楽とか本、絵画とかも)を観たからには何かしら得なくてはならないという思い込みがあって、それが自分によけいなハードルを課しているのだろうと思う。なにか得るとか、あるいは批評できなくてはいけないとか…。映画なんて生涯でもたぶん百本も観てないと思うから批評なんてできるわけないし、誰も俺に求めてなんかいないのはわかってはいるのだが、周りより少し上等な人間でいたい自分がいる。まーこういうのがみっともないんだけど。誰しもにあるんだろうか? 謙虚ってどういうことだろう。俺はいろいろあって「自分は素直だ」と思い込んでいるのだが(そして事実そうあろうとしているところはあるにはあるのだが)、まず根本的に自分は周りよりなにかしら優れているといううぬぼれがあって、それありきだからそんなに本当に素直なわけではない。

 まあそういうプライドがなければやらなかっただろうこともたくさんあるので(無駄なことも恥ずかしいこともたくさんある)しょうがないっちゃしょうがないのだが、もう少し自分で手に取って眺めることぐらいはできるようにしたいものだ。なにしろ自我が暴れまわってそれを自分で抑える手段がない、というか一体化しちゃってる、というのが一番しんどい。

 映画の話だっけ?

 そもそも数時間単位でひとつのことに費やすことに覚悟がいる。これって昨今のタイパとかショート動画に毒されているともとれはするけど自分の場合はそもそもあんま得意じゃないんだと思う。子供の頃絵をよく描いたがあれはいわゆる過集中だったろうか。小学校高学年のころにはあまりできなくなった。それは今思うと普通に疲れるからだったのかも。魔法が解けたとかじゃなくて。『躁鬱大学』の中で、一日の時間区切ってあれこれやることを決めてしまっておいた方がいいと書いてあった。まあ一日中なんかに向き合うのは普通に無理だし(根性なしなのにまじめにやるってなると根性論で考えてしまう癖がある。根性コンプレックス)それは音楽の練習とかでもわかってることだ。学びに限界がある。
 休日のスケジュールみたいなことを決めたほうがいいかもしれんなあ。

 日記によって俺は自分と向き合っている…というか自分の中身を臆面もなく(いやだいぶあるか)さらすということに割と慣れてきた。それは普通にいいことなのかどうかわからない。

 たぶんだけど俺は自分の文章にこだわりというか、そんなになくて、ただ自分で自然と思うかみたいなことくらいしかない。そこに読んできたものの影響とかは出てると思うがあえて「出そう」みたいなことは考えない。でも曲を書くときとかはああしようこうしようがある。あの曲みたいにしようかとかこんなギター入れてみようかとか。そのへんなんかなあ。音楽とか絵も日記みたいにやれたらと思ったりもする。

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