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つどいレポ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

はじめまして。「ほんよみのつどい」運営の、ひかりんです。
はじめての「ほんよみのつどい」開催レポート、ドキドキしながら書いています。

今回の課題本は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。同じく運営のせんちゃんも、読んでみたい!ということですぐにこの本に決まりました。
今回は、20、30代の男女7名で「ほんよみのつどい」を開催しました。
長野や東京、各地から参加できるのはオンライン読書会ならではの魅力です。

※ つどいレポでは、本の内容について触れていますので、「まだ読んでないから内容を知りたくない」という方はぜひ読んでからご覧ください。

「エンパシー」について考える

この本の主人公とも言える息子さんは、イギリスに住んでいて、イギリス人の父と日本人の母を持つ11歳の男の子です。

イギリスの中学校の授業には「シティズンシップ・エデュケーション」という科目があります。本の言葉を借りると、”社会において充実した積極的な役割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を生徒たちに提供することを助ける”ことを目的とする、とあります(p.72)。
わたしはこの、シティズンシップ・エデュケーションのテストの内容について家族で話すシーンがお気に入りです。

「試験ってどんな問題が出るの?」
と息子に聞いてみると、彼は答えた。
「めっちゃ簡単。期末試験の最初の問題が、『エンパシーとは何か』だった。で、次が『子どもの権利を三つ挙げよ』っていうやつ。全部そんな感じで楽勝だったから、余裕で満点とれたもん」
得意そうに言っている息子の脇で、配偶者が言った。
「ええっ。いきなり『エンパシーとは何か』とか言われても俺はわからねえぞ。それ、めっちゃディープっていうか、難しくね?で、お前、何て答えを書いたんだ?」
「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
(p.73)

「ほんよみのつどい」の中でも、エンパシーについて、参加者の皆さんと考えてみました。
本の中では、エンパシーと混同されがちな言葉として、シンパシーの説明もされています。それぞれの説明は本の中で書かれているものを転載しています(p.75)。

empathy:他人の感情や経験などを理解する能力
sympathy: 誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと

「エンパシーが良いこと/シンパシーは良くないこと」のように、エンパシーとシンパシーが対比されて書かれているように見える、という感想を共有してくれた参加者の方がいらっしゃいました。

日常の中で「エンパシー」という能力を養うには、実際に人に会ったり、映画や本の中に登場する人に出会い、「どんな人がいるのかを知ろうとすること」も、とても大切なことだ、という再確認ができた時間でした。

グローバル化も進み、多様に人が混在する現代だからこそ、「エンパシーとは何か」について考えなければいけない時代なのかもしれません。

異文化・多文化の中で生きるということ

「ほんよみのつどい」では、決まったトピックについて話し合うだけではなく、参加者の皆さんから、この部分の感想を聞いてみたい!と思う部分について話し合う時間も設けています。
今回は、参加者の方が「感想を共有したい」と言ってくださり、9章の「地雷だらけの多様性ワールド」(p.130~)について、それぞれどんな読み方をしたか共有しました。

息子さんのクラスで、アフリカなどで慣習的に行われるFGM(Female Genital Mutilation:女性器切除)について、授業で取り上げられました。その後、アフリカからの移民である転入生の女の子について、「あの子も夏休みの間にアフリカに帰って、FGMを受けさせられるのでは」と別の生徒が言い始め、ゴシップ的な雰囲気がクラスに漂います。

そんな中、母親であるブレイディさんが、転入生の女の子の母親と会話することになります。
転入生の母親は、ブレイディさんとの会話の序盤で、”地雷もへったくれもなく”(本の中の表現を拝借します)、こんな聞き方をしました。

「ああ、あなたがうちの娘が言ってた中国人の子のお母さん?中国人の男の子がクラスに一人いるって言ってたから」
(p.141)

そして、会話の中で日本人であることを訂正した後の会話の中で、こんなやりとりになるのです。

「どこか休暇(:ホリデイ)に出かけるんですか?」
ホリデイ、米語でいえばすなわちバケーションのことだが、夏のこの時期に人と話をするときには、「どこかホリデイに行くの?」というのは社交辞令のようなものなので、何も考えずにそう口にしたのだった。
ぴた、とターバンの母親の手が止まって、ぎゅっとこわばった表情の顔をあげた。
「アフリカには帰らないから、安心しな」
刺すような目つきだった。

わたしは自然に会話しようとしただけなのにコミュニケーションがうまくいかず、すごく切ない気持ちで読んだ章でした。

自分は地雷を踏んでおいて、自分の地雷が踏まれたときにだけはらをたてるのって、どうなの?という意見や、
自分のことではなく、我が子に関することだったら「守らなきゃ」という気持ちが働いて、過度に反応してしまうものなのでは、という意見もありました。

「会話の中で大人は意見が食い違うと、踏み込まずに問題をそのままにしてしまうけど、子どもは違う。子どもはそんなのお構いなしに踏み込むことを恐れずにいる。」、という参加者の方の話が心に残りました。
わたしもコミュニケーションをあきらめてしまうことって、あるなあ、、、反省、、、!

にしても、いろんな読み方があって面白い、と感じることのできる時間でした。

さいごに

Amazonの画像にも載っていますが、書店でもこの本を見かけると、「一生モノの課題図書」という帯が目を引きます。
わたしは、この本はそのコピーがぴったりマッチしていると感じています。一冊の中で格差、人種、性別、教育、いろいろな問題が取り上げられています。
世界で起こっている問題を他人事にせず、無視せず、知ろうとすることの大切さをこの本と、参加者の皆さんとの会話の中で学びました。

ただ本を読むだけではなく、人がどう読んだかを知り、自分がどう読んだかを口にすることで、自分の中での理解が深まることを改めて感じられる回でした。
ほんよみのつどいが掲げる、他者と同じ本を読み、分かち合うことの大切さを感じました。

今回の課題本

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ 新潮社
優等生の「ぼく」が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜのイカした「元・底辺中学校」だった。ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり……。何が正しいのか。正しければ何でもいいのか。生きていくうえで本当に大切なことは何か。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。連載中から熱狂的な感想が飛び交った、私的で普遍的な「親子の成長物語」。
(新潮社HPより)


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