摩訶迦旃延【仏教用語解説】vol.26
毎週月曜日は【仏教用語解説】をお届けしています。第26回の今回は、「摩訶迦旃延」です。
摩訶迦旃延
摩訶迦旃延は、十大弟子のひとりです。幼い頃から利発で教えられたことをよく理解することができたので、お釈迦さまの説法の説明役を担っていたそうです。このことから、「論議第一」と呼ばれています。
南インドのバラモンの家に生まれた人で、阿私陀仙人の弟子だったそうです。
阿私陀仙人というのは、お釈迦さまがシッダールタ王子としてお生まれになった時に遠くからやってきて、「この方は出家すれば人々を導く偉大な宗教者となり、在家(出家しないこと)にあれば理想的な素晴らしい王様になることでしょう」と予言した人です。そのあと、はらはらと涙を流し、「私はもう年老いてしまったので、この方が立派になられたお姿を見ることはできない、それだけが悔やまれます」と言ったそうです。
摩訶迦旃延は、阿私陀仙人の遺言によってお釈迦さまの弟子になったとも言われています。自分は先にこの世を去ってしまうから、弟子の摩訶迦旃延には、「必ずこの方について行くように」と言い残したのかもしれませんね。
インドの地域区分
ところで、摩訶迦旃延は南インド出身の人であったと言われていますが、お釈迦さまの弟子になったあとは、西インドに布教しに行ったとも言われています。ちなみに、お釈迦さまが主に活動していたエリアは北インドです。
北インドと南インドという区分は聞いたことがありますが、西インドとなるとどのあたりかわからなかったので、調べてみました。
カレー粉で有名なS&Bが運営する「カレー.COM」というサイトには、こんな地図が載っています。
ず、ずいぶん西インドの範囲が広いですね…食文化の違いで分けているのでしょうか。
Wikipediaには、インド内務省が認めた区分として次のような画像が掲載されていましたが、引用元がわからなくなっていました。
今度は、だいぶ西インドの範囲が小さくなりましたね。それに、中央インド(Central)や北東インド(North Eastern)というのも出てきました。
これは、もうちょっと勉強しないといけないですね。地理は苦手な分野ですが、より豊かなイメージを頭のなかに想像したいので、今後の課題とします。
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今回は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
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