立正安国論④【お祖師さまのおしえ】vol.13
【お祖師さまのおしえ】は、私がお祖師さま(日蓮聖人)の御遺文を少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。
今回は「立正安国論④」です。①~③はこちらからどうぞ。
参照しているのは、『昭和底本 日蓮聖人遺文』(日蓮教学研究所、改訂増補第三刷、2000年)と、『日蓮聖人全集 第一巻 宗義1』(春秋社、1992年)です。
さて、前回は、災害や飢饉によって世の中が乱れ、多くの人が命を落としている状況に対し、ある人は法華経の「薬王菩薩本事品」に説かれる教えを頼みとし、ある人は仁王般若経を信仰して、僧侶100人が仁王般若経の講義を100回開く「百座百講」という儀式を行うことによって救われようとしていました。
あとから気づいたのですが、法華経も仁王般若経も、国家を守護し安泰にする「護国経典」とされていたところが共通していました。
さて、今回は、人々が苦しみから救われるために、どのような方法をとる様子が語られるでしょうか。
さっそく読んでみましょう。
有は秘密真言の教によりて五瓶の水を灑ぎ、
有は坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、…
「秘密真言の教」というのは、密教のことです。
「五瓶の水を灑ぎ」というのは、密教の儀式で用いる「五瓶」と呼ばれる道具に水をそそぐことと思われます。ただ、ここでは、「五瓶に水をそそぐ」という行為が密教儀式の象徴として引き合いに出されているのでしょう。つまり、ここで言いたいことは、密教の儀式を行って苦しみから救われることを祈った、ということだろうなと思います。
次は、「坐禅入定の儀」と言っているので、「禅」の話をしているようです。
しかし、この、「空観の月を澄まし」というのは、「なんとなくわかるような気がする」だけで、具体的にどういうことですか?と聞かれたら、答えるのはとても難しいですね…
「空」というのは、あらゆるものに実体はなく、絶えず変化していく、という教えですので、「空観の月を澄まし」というのは、坐禅して、すべては「空」であると悟る、とういことでしょうか。
雲ひとつない夜空にまん丸の月が浮かんでいるように、雑念も、迷いもない境地ということなのかなあと思います。
そのような境地に至ることによって、現在の苦しみから救われるということでしょうか。災難が続いているという状況は変わらないけれども、自分の内面が変化する(「空」を悟る)ことによって、苦しみから救われるということなのかもしれません。
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今回は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。
それでは、また。
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