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観世音菩薩普門品第二十五③【はじめての法華経】vol.10

【はじめての法華経】は、私が法華経ほけきょうを少しずつ読んでいく過程を報告するコーナーです。

今回は『妙法蓮華経みょうほうれんげきょう』「観世音菩薩かんぜおんぼさつ普門品ふもんぽん第二十五だいにじゅうご」③です。(①~②はこちら

前回読んだ部分では、観世音菩薩の名前を一心にとなえる者は、炎のなかに入っても焼かれず、水に流されても浅瀬にたどり着き、船が難破して羅刹(恐ろしい鬼)の国に流れ着いても難を逃れることができる、と説かれました。

今回読む部分では、どのようなシチュエーションで、観世音菩薩の名前をとなえた人が救われるのでしょうか…

それでは読んでいきましょう。



若復有人にゃくぶうにん臨当被害りんとうひがい称観世音菩薩しょうかんぜおんぼさつ名者みょうしゃ

ひとあって、まさがいせらるべきにのぞんで、観世音菩薩かんぜおんぼさつしょうせば、


彼所執刀杖ひしょしゅうとうじょう尋段段壞じんだんだんね而得解脱にとくげだつ

れるところ刀杖とうじょういで段々だんだんれて、解脱げだつすることをん。


若三千大千国土にゃくさんぜんだいせんこくど満中夜叉羅刹まんちゅうやしゃらせつ欲来悩人よくらいのうにん

三千大千国土さんぜんだいせんこくどに、なかてる夜叉やしゃ羅刹らせつきたっひとなやまさんとほっせんに、


聞其称観世音菩薩もんごしょうかんぜおんぼさつ名者みょうしゃ是諸悪鬼ぜしょあっき尚不能以しょうふのうい悪眼視之あくげんじし況復加害きょうぶかがい

観世音菩薩かんぜおんぼさつしょうするをかば、もろもろ悪鬼あっき悪眼あくげんもっこれることあたわじ、いわんやがいくわえんや。


ひとあって、まさがいせらるべきにのぞんで、観世音菩薩かんぜおんぼさつしょうせば、

今回は、まず、今まさに人から危害を加えられようとしている人が、観世音菩薩の名をとなえた場合、どのように救われるのか説かれるようです。

れるところ刀杖とうじょういで段々だんだんれて、解脱げだつすることをん。

危害を加えようとしている人がふりかざした刀や杖が、バキバキバキッ!と折れて、難を逃れることができる、と説かれています。

の」というのは、「危害を加えようとしている人の」という意味ですね。それと、「刀」はまだしも、「杖」で危害を加えるというのはあまりピンとこないですが、昔は、杖で叩くという刑罰もあったそうです。歩くために使う木の棒だけが杖ではないんですね。

「尋いで」という言葉は初めて見ました。調べてみると「引き続いて」とか「まもなく」という意味のようです。このことから考えると、「危害を加えられそうになっている人が、観世音菩薩の名を唱えた途端に刀や杖が折れる」という解釈が自然なのかなあと思います。

危害を加えようとした人も、相手が観世音菩薩の名をとなえただけで自分の刀がバキバキッと折れてしまったら、驚いて、恐ろしくなるでしょう。

三千大千国土さんぜんだいせんこくどに、なかてる夜叉やしゃ羅刹らせつきたっひとなやまさんとほっせんに、

さて、次に、全宇宙に満ち満ちている夜叉(鬼神)や羅刹(鬼)等の悪鬼あっきたちが一斉に集まってきて、ある人を悩まそうとしてきます。これは、かなり、怖い状況ですね…全宇宙から集まってくるわけですから、ものすごい数の悪鬼たちが襲いかかってくるわけですね。

三千大千国土さんぜんだいせんこくど」というのは、簡単に言ってしまうと古代インドの世界観で「全宇宙」のことを指し、仏教では「ひとりの仏が教化(衆生を教え導く)する世界」とも言われています。「三千大千世界さんぜんだいせんせかい」という言いかたの方が一般的かもしれません。

観世音菩薩かんぜおんぼさつしょうするをかば、もろもろ悪鬼あっき悪眼あくげんもっこれることあたわじ、いわんやがいくわえんや。

全宇宙から集まってきた悪鬼たちの集団に襲われても、観世音菩薩の名を一心に唱えれば、悪鬼たちはその人を見ることすらできなくなってしまい、当然危害を加えることもできない、と説かれています。

前回読んだ部分では、船が難破して「羅刹鬼らせつきの国」に漂着してしまうという災難に遭った人が出てきましたが、今回の全宇宙から集結してきた「夜叉・羅刹」の数は、「羅刹鬼の国」の比ではなさそうです。

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今回は以上になります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回も引き続き「観世音菩薩普門品第二十五」を読んでいきますので、またお付き合いいただければ嬉しいです。

それでは、また。



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