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【人生の迷子になったのでシリーズ】こども時代②小学校のこと

このシリーズの前半は、どのようにして私が自分を見失ったかにフォーカスして書いているので暗めの話中心になります。でも実際には、この100倍くらい楽しいこともたくさんあったことを書いておきます。

私は本当に同時代によくあるような幸せな子ども時代を送って、それでもなお自分を見失ってしまったということです。

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小学生のいじめから、世界が敵だと学んだ

私は小学校1年生の2学期に転校してから6年生まで、同じ学校に通っていました。2年、3年、5年の時にいじめられたことを覚えています。

その中で一番記憶に深く残っているのが5年生の時です。この時はいじめられる対象がくるくる変わっていたように思うんですが、その時は私でした。
その頃、担任が体調不良で長期休みを取ることになったため代用教員が来ていたんですが、その先生が「私の問題点を出し合って話し合う」という学級会を開きました。

「掃除の時間に掃除しろっていうくせに、自分も遊んでいるときがある」
「自分に都合悪くなるとすぐ泣く」
「猫の鳴きまねされるとムカつく」当時猫を飼い始めて、猫の鳴きまねが好きでした。

仲良しだと思っていた児童からも、指摘がありました。ショックでした。クラス全員が私の敵のように感じられました。一人だけ、私をかばってくれるような発言をした男の子がいました「泣きたくてなく人はいない。俺も泣いてしまうことあるもん」と。とても勇気が言ったと思います。でもその子はその後「お前はトイレに顔突っ込んで泣いとけ」とか、周りから馬鹿にされるようなことを言われて、彼はニヤニヤして黙ってしまったように思います。彼の存在に少し救われつつも、巻き込んで申し訳ないなとも思いました。

ところで、なぜかその男の子の存在を30過ぎまで忘れていました。

私はこの時自分の心がこれ以上傷つかないために「自分の周りは敵だらけだ」だと「学習」し、その学びに合わない記憶を消してしまっていたようです。その後の人生でも、自分を守ってくれようとする人の親切は受け取らず、「周りは敵だらけだ」という『眼鏡』をかけて生きていたんだと思います。

教室で一人いて、周りが敵だらけで先生というボスがいるイメージがその後もことあるごとに浮かびました。思い出すたびに怒りが溢れました。

NLP心理学で自分の心を見つめるうちに、彼を含め、自分を助けようとしてくれた人たちのことをある時突然、それこそ走馬灯のように思い出した時があって、その時は大泣きしました。

あと「猫の鳴きまねがムカつく」と言われて、最初はこちらも苛立ちを覚えましたが、もし本当だったとしたら、ムカつかせていると知らずに鳴きまねをしていた私がよくなかったんだろうかと思い、猫の鳴きまねは辞めました。

この頃からなのかな「私がどうしたいか」より、「相手がどう思うか」を優先するようになったのは。あと、最近昔の記録が出てきたので読み返したら、この頃までは、学校のルールを破っている人がいると注意したり先生に伝えたりしていたようですが、この後すっぱり辞めたようです。

今、夫とにゃーにゃ―言って笑い合えるのは、だから涙が出るくらい嬉しくて幸せだなあと思います。

つづく
それでは、ホニャラ~

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