カラオケ@渋谷の中二病おじさん#3

「歌がうまくなりたい」

初めてそう思ったのは、中学3年生のときだった。
それから十数年、社会人になり、30歳を超えた今もその気持を持ち続けていることに、驚きを覚えている。

*  *  *
僕が音楽と出会ったのは、遡ること20年ほど前になる。小学5年生のとき、兄が両親に買ってもらったビートルズのCDを聞いたときだった。
それまで、なんとなく流行りの音楽を聞いていた程度だった自分が、ビートルズを聴いて以来、好きなバンドを見つけては、アルバムを延々とループして聞くようになった。

小学6年生の誕生日、両親にギターを買ってもらった。僕がギターを始めたかった訳ではなく、兄にそそのかされての結果だった。
結局、当時の僕は買ってもらった1万9000円のエレキギターセットに、まったく興味が持てず、結果として、それは部屋に置いてあるだけの飾りになってしまった。
残念なことに、購入を唆した張本人の兄も、パワーコードをいくつか覚えた程度で、「俺はもうギターを極めた。」という言葉とともに、すぐに辞めてしまった。

中学3年生。周りの友達が次第にギターを始めるようになり、仲の良かった友人が、アコースティックギターでゆずの「またあえる日まで」を弾き語りしているのを聞き、負けてられないと思い、そこから練習の熱に火がついた。来る日も来る日も「またあえる日まで」のコード進行を、うまく弾けるようになるまで繰り返し弾き続けていた。
そして、次第にギターを弾くことに、のめり込んでいった。

それと時を同じくして、僕はあるバンドに出会った。
当時、ロックバンドとしては、売れに売れていた、全盛期のBUMP OF CHIKENだ。

BUMP OF CHIKENは、その頃もう十分に売れていて、誰もが知っているような状態だったにも関わらず、当時の僕は、詳しくは知らなかった。
友人の家で、ダンデライオンや、車輪の唄を聞き、(そう、その頃すでにもう3rdアルバムのユグドラシルが発売されていた頃だ)
そのキャッチーなメロディと、絵本や小説をそのまま歌にしたような、詩の世界観に衝撃を受けた。

そして、僕は一端のバンドマンになろうと決意したのだった。
メンバーをあつめ、軽音楽部に入部し、図々しくもリーダー。そしてボーカル・ギターを努めた。
それまで、全く歌に興味などなく、カラオケにいっても、幼少期からピアノを続けていた兄と比較され、両親から、下手くそだと笑われていた僕が、ただ、憧れたバンドのようになりたい、という気持ちだけで、ボーカルを努めていたのだ。己の表現したいものなど、もちろんなく、とにかくどれだけバンプオブチキンやエルレガーデンやストレイテナーになりきるかが、その時の全てだった。

バンドはいくつかのライブや、文化祭での活動を経たが、大成することもなく、いつの間にか消滅してしまった。
何度か、スタジオで自分たちの演奏を録音したこともある。小さなカセットデッキが装備されており、MDを持ち込みさえすれば、部屋の中央に建てられた。ダイナミックマイクを通して、演奏を録音することができた。
ダイナミックマイク1本で、小さなスタジオ内の音を全部拾うので、(演奏はもちろんフルボリュームだ)音は割れまくり、それはまあ、ひどいものだった。

そして、録音を聞いてみて、僕はいつも疑問に思うのだった。
演奏もさることながら、ボーカルの歌がめちゃくちゃ下手くそなのだ。
僕は、ボーカル・ギターで、常に藤原基央や、大木伸夫のような、抜群の歌唱力で歌い上げているはずだった。
おかしい。けど、全ては、音が割れている上に、低音がボワボワとなっているせいだと、当時の僕は考えていた。

そして、文化祭でBUMP OF CHIKENの「天体観測」を披露したときは、みんなが絶賛してくれた。自分なりにも、ほぼ藤原基央になれたのではと思い満足していた。それなりに歌がうまいと、自信を深めていた。その後に、いくつか出たライブハウスや、自分たちで企画したライブイベントでも、反響は上々だった。

しばらくして、バンドメンバーの両親が文化祭のステージをビデオに収めてくれていたらしく、その映像をDVDに焼いて僕にくれた。家のPCでそれを観ていたのだが、なんともひどい歌声が録音されていた。僕は聞き返すのが嫌で、一度途中まで観たきり、そのDVDを再生することはなかった。

僕は、何故か録音になると、歌が下手なのだ。

* * *
高校を卒業すると、バンドをやる機会もなくなり、歌といえば、サークルの飲み会のあと、みんなでカラオケをする程度になった。

僕はボーカルの自負があり、感情を乗せて、曲のメッセージをすべて伝えてやろうと、本気で歌っていた。適当な声量で音程通りに歌い、採点マシンの結果でカラオケ自慢をしているような奴らとは違う。と意気込んでいた。本気で人を感動させようと思い、感情の赴くままに喉を震わせ、想像では、それが曲に相まって、素晴らしいパフォーマンスになっていると信じていた。(そんな気持ちでカラオケを歌っているやつは、普通いないだろうが)

社会人になって、ガールズバーやカラオケバーにいくようになると、見知らぬ人の中で、カラオケをする機会も増えた。観客やステージこそほとんどないが、ライブで歌う感覚に似ている。僕にとって、そこは小さなステージだった。秦基博の名曲を歌い、ガールズバーの店員が号泣することもあった。カラオケバーで、謎のおじさんに歌声を褒められる事もあった。人が自分の歌声を聴いて、いい曲だね。と言ってくれるのが好きだったし。その曲の感覚を共有できてる感じが好きだった。

それなりに歌がうまいと思っていた。けれど、カラオケの採点マシンの音程バーは、いつも少しずれた表示がされていて、なぜ合わないんだろう?と疑問だった。声の出し方の癖なのかなとも思っていた。
でも、感情に任せて、全身全霊で歌うのは、音だけでは伝わらない”何か”を表現できている感じがして、とても気持ちが良かったし、多少音程がずれていようが、その熱量みたいなものは、伝わるだろうと思っていた。
勘違いかもしれないが、自分の表現した"何か"が、聴いている人に伝わっている感覚が、少なからずあった。

*  *  *
最近になって、スマホにカラオケのアプリが出ていることに気づいた。調べてみると、スマホ1つで自分の歌声を録音し、カラオケ演奏にあわせて、アップロードできるのだ。カラオケ版のtwitterみたいなものが、今のスマホでは利用することができた。

あげられた作品を聴いてみると、下手くそばかりだ。
僕が好きな、全力で曲を表現している人は居ない。イケボ自慢のいいね稼ぎや、きれいに歌おうとしすぎて、なんの感動もない歌声が溢れている。ここはひとつ、僕が本気の歌声を披露してやろう。そう思い、おもむろにカラオケを録音したのだった。

なぜだろう?
録音を聞いて、驚いた。声はでかいが、音程もリズムも安定しない、とんでもない下手くそが歌っているのだった。おかしい。今はたしかに声が安定していなかったかもしれない。もう一度取り直そう。

取り直しても、結果は同じだった。

下手くそだった。いままで、少し上手いと自負していた、感情的に、全力で歌い上げた歌声は、粗雑な叫び声でしかなかった。

それ以来僕は、自分の歌声に自信がなくなるとともに、歌う度に、今の歌い方、少し下手だったかもな。音程がずれていたかも。と自分の歌声を意識するようになった。アプリで、他の人の歌声をきいて、声の出し方や録音の仕方を真似てみたり、試行錯誤を繰り返して、少しでもうまく聞こえるように練習を重ねた。
一向にうまくはならないが、カラオケに行くと、すこしだけ成果は出ているような気がする。

音程のずれや、声質や声の出し方に注意するようになり、なにも考えず、自分の感情の赴くままに喉を震わせていた、あの頃の自分とは別人になった。人にどう聞こえるかを考え、変なミスをしないように細心の注意を払いながら、できるだけ丁寧に歌う。採点で表示される音程バーや、採点の結果は、以前より少しは良くなった気がする。

少し良くなった。客観的に、自分の能力を見極め、余計な部分を整え、諦め、粗相のないように丁寧に振る舞う。大事なことだ。僕は、少し成長した。社会を知らなかった若者が、現実を知り、社会に適応していく様に。実力を知り、適応しようと努力をしていた。

* * *

今日も、渋谷の汚らしいカラオケ居酒屋の狭い部屋のはじっこで、僕はマイクを持ち、ライブに出ているかのような心持ちで、誰もが知っているであろう、人気曲を歌っている。

下手くそにならないよう、音程やリズムに気を使い歌いながら、僕は思った。

「もう。だれかを泣かせるようなパフォーマンスは、できないだろうな。」と。

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