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六月以降に出版された翻訳書

 六月二日に『わたしの香港』(カレン・チャン著 亜紀書房)が刊行されました。この作品は1993年に深圳で生まれ、香港で育ったジャーナリストのカレン・チャンさんが、香港という場所と自身の成長を重ね合わせるようにして綴った都市論であり、曖昧な自己との対話であるとも言えます。2014年と2019年の、都市が沸騰するようなデモのさなかに、そこで暮らしていた人々はどのような日常を送り、どうしてデモをするために通りに出ていったのか、ということも書かれています。カレンさんは八月の暑いさなかに来日し、「東洋経済」の記者のインタビューに答え、香港への思いや、表現者の使命などを話しています。本書は日経新聞をはじめ、さまざまな新聞の書評に取り上げられました。
 また下調べや細かな事実の確認や中国語の表記、原註のチェックなどを、翻訳塾の塾生にお手伝いをお願いしました。

 七月下旬には、エドワード・ケアリーが新型コロナ感染症が広まった2020年3月から毎日SNSに投稿していた鉛筆画500枚を集めた画集『B 鉛筆と私の500日』(東京創元社)が刊行されました。画の一枚一枚から当時の苦しさや、やるせなさが伝わってきますし、励ましや希望を見出すこともできます。何かを創り出さなければ正気を保っていられない、という表現者の考えや日常を書き留めた日記のようなエッセイもあります。誠実で感受性の豊かなケアリーの人柄が滲み出ています。

 九月下旬には、美術を盗み続けた男を取材したノンフィクション『美術泥棒』(マイケル・フィンケル 亜紀書房)が出ました。この窃盗犯は、七年間にわたり250点以上の美術品を盗み、それを自宅に飾って喜んでいたのですが、それを売ろうとしなかったために足がつかず、まったく警察に気づかれることなく日々を過ごしていたのです。あるとき、慢心と油断から、とうとう警察に目を付けられます。まるで小説のような展開は、まさに「小説より奇なり」です。

 十月には、ロスチャイルド家の男性たちの影として表に出ることがなかった女性たちの人生を追いかけたドキュメンタリー作品『ロスチャイルドの女たち』(ナタリー・リヴィングストン 亜紀書房)が刊行予定です。
 当時の女性たちにとって日記や書簡は、自分の思いを表現したり、伝えたりするための手段でした。著者は、そうして残された文章を整理し、そこから浮かび上がってくる人物と事柄を時代と重ね合わせて塗り固めていきます。一時期はヨーロッパの経済を動かしていたともいわれたロスチャイルド家ですが、そこで生まれた女性や、婚姻によってそこに入ってきた女性たちのなかには苦難の道を歩む人もいました。残された言葉の重さに圧倒されます。よくある陰謀論とはまったく違う真面目なノンフィクションです。 この本は原註を含め660ページに及ぶ大作で、翻訳するのに二年以上かかりました。

 これからも現代という時代を映す作品や物語を訳していきたいと思っていますし、塾生のみなさんが自信をもって翻訳の仕事にかかわっていかれるようサポートしていくつもりです。