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いじめの芽は決して見逃さない

ある時、中学生の娘は、「学校へ行きたくない」と言い出しました。

女の子は、やっぱり生理もあるしイライラもするから、少し様子を見ていました。

一週間ほどたったとき、「自分が生きている意味ない」「学校行きたくない」とブツブツ繰り返していました。

私は「やっぱりきたか~」と内心、学校で何か問題が起きているのだと思いました。

聞いてみると、前の席の男の子がプリントを回す時に「誰かほかの人渡して~」と言って、自分で渡さないようにするそうです。

これが一週間続いているようです。

大人は、ささいなことのように、感じるかもしれません。

でも、このことで娘は「学校へ行きたくない」と感じていました。

学校の教室というのは、大人が思っている以上に閉鎖されている空間です。

休み時間も、勉強時間も、同じメンバーで同じ空間にずっといなければならないのです。

学校の教室、そこは、ちょっとした言動もお互い敏感に反応してしまうような距離しかとれない、ごく近い距離感のなかで過ごさなければならない空間なのです。

その教室で、些細なことでも、繰り返し同じことを繰り返されるということがあると、やられた側は、次第に精神的に追い詰められていくということがあるのです。

だから、親も教師も、この閉鎖された空間で過ごさなければならない生徒を守っていかなければならないのです。

「ほんの些細なこと」で、片づけてはいけないです。

どんな些細なことに見えても、子供にとっては、地獄かもしれません。

学校の先生は、生徒は一人ではないし、業務だって忙しく、つい生徒の訴えを見逃すことだってあります。

親である私は、娘のどんな些細な訴えも、見逃さないように気を付けています。

過保護になるのではないかという考え方もあるかもしれません。

ですが、私の意見は、過保護になるくらいがちょうどいいと思っています。

そうでなければ、子どもの言動を見逃す恐れがあるからです。

「いつもより元気がないな」とか

「いつもと比べて言葉が激しいな」とか、

ちょっとした違いに気づくことができるのも過保護だからだと思います。

いけないのは、過干渉です。

「あれ持った?」

「忘れ物ない?」

「勉強しなくていいの?」

など。私もやってしまいますが、子どもが自ら行動するべきことまで、あれこれ口出しすることは、子どもに「あなたのことを心配しています。」というメッセージを送ることになります。

話は戻りますが、というわけで、私は学校の担任の先生に事細かに説明しました。

・些細なことであるかもしれないが、これは(娘にプリントを回さずほかの人に頼む)いじめであるということ

・その場しのぎ的な呼び出しはしないでほしいということ

・娘は「学校に行きたくない」と言っており、不登校の手前であるということ

・相手の子供が反省しておらず繰り返した場合は何度も呼び出すということ

・娘には「安心して通えるようにする」からと伝えているということ

なぜ、ここまで細かく担任に伝えるのかというと、重く受け止めてもらうためです。

いじめの芽は、完全に摘まなければならないと私は思っています。

はっきりいじめをしているということを相手の子供に自覚させることが大切です。

そのために、教師、親を巻き込まざるを得ません。

娘も、相手の子供もまだ子供です。

悪いことをしているとわかっていても、やってしまう年頃です。

だから、放置してはいけないのです。

いじめは大事になってからでは、手遅れになることもあります。

いじめは、最初は些細なからかいから始まるのです。

いじめられた側は、月日が経てば経つほど、精神的に追い詰められていきます。いじめる側もヒートアップしていきます。

だから、最初の段階でけして見逃さないということが大事なのです。






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