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他人のにぎったおにぎりを食べられない問題

10年ほど前、夫がふとつぶやいた。
「他人がにぎったおにぎりってさあ、食べられない、というか食べたくないよね」

ええーそうなの? 全然気にしたことなかったな。よく聞くと、他人というのは家族以外という意味で、妻と母のおにぎりは食べられると言う。なんで? と聞くと彼は少し考えて「信頼かな」と言った。へーそんなもんか、とそのときは思ったのだが、数年後のある日、自分も他人のおにぎりは食べられないと思っていることに気がついた。

仲良くしているマダムの家でおひるごはんをごちそうになり、たくさんあるからと炊き込みごはんをおにぎりにしてくださった。せっかくのお土産を、夫はもちろん食べなかったが、なぜかわたしも「なんか食べられない」と思った。マダムのことは信頼しているし、衛生面で問題ないことも承知していた。ラップにくるんでにぎっていればたぶん気にならなかっただろう。以前はそんなふうに思ったことはなかったのに。

なぜ他人のにぎったおにぎりが食べられないのか。夫は信頼問題だというがわたしの場合は少し違う。

ヒトの皮膚には常在菌がやまほどくっついていて、ヒトごとにそれは違う。ぬか漬けがその家の主婦の手によって味が変わると言うのはそのためだ。ぬか漬けの場合は乳酸菌が腐敗菌を駆逐してくれるが、おにぎりはそうではない。手のひらの常在菌をごはんに塗りつけているようなものだから、長時間常温に置いておくと菌が繁殖し腐ってしまう。だから最近では素手ではなくラップでくるんでにぎりましょうとか言われているのだった。

ということは。素手でにぎったおにぎりにはその人の常在菌がやまほどくっついているのだ。以前おにぎり問題が存在しなかった理由は、わたしがとくに常在菌の存在を意識していなかったからで、夫の「信頼」は言ってみれば「妻と母の手の常在菌は受け入れる」ということだ。そしてわたしは自分以外の常在菌を受け入れることができない。だから他人が素手でにぎったおにぎりは食べられないのだ。

最近は、おにぎりはラップか手袋でにぎるのが衛生上の常識になっている。しかしおにぎりは素手に塩をつけてにぎるほうが格段においしい。手のひらに塩がまんべんなくまわっておにぎり全体に絶妙な塩味がつくことに加え、ラップにぎりではふんわりとした仕上がりがうまくコントロールできず、にぎり過ぎてしまう。おにぎりはやっぱり素手だよね!!! とは思うのだが、誰かにどこかで素手でにぎったおにぎりを「お食べ」と出されたら、やっぱり躊躇してしまう。

藤田紘一郎先生が「おにぎりは発酵食品」ととある雑誌で口走って物議を醸していたが、素手にぎりの消費期限は経験上3時間ほどで、発酵食品にはほど遠い。そう思うと、誰がいつどうにぎったかわからないおにぎりは食べられない。コロナ以降さらにその傾向は高まっていて、もしかしたら不潔恐怖症になってしまったのかと思うくらいだが、そこでふと考える。今、母がにぎってくれたおにぎりを食べられるだろうか。以前と変わらずおいしく食べられたらいいなと思っている。

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