6-5 飯試した 趣味
「今日は炊き込みご飯だぞ」おばあちゃんが言うよ。
「それはよかった」僕は喜びを表すよ。
食品メーカーが販売している簡単に炊き込みご飯を作れるパックがあって、それを用いれば、にんじん、たけのこ、小さな鶏肉などが紛れ込んだしょっぱい薄い茶色に染まったご飯ができあがるんだ。どんどん食べられるよ。おいしい。毎日このご飯でよいではないかと思っちゃうくらいなんだよ。
「炊き込みご飯ばかりだと飽きるからな」おばあちゃんは説く。
きっとそうなのだろう。でも僕はそう推測するだけで現実には、炊き込みご飯に飽きたという状況に陥った経験が皆無だよ。
けっこう残念なんだよね。前回の食事まで炊飯器の内側を覗くと炊き込みご飯で豪華だったのに、蓋を開けてみたら真っ白粒でにんじんのかけら1つさえ含まれていないなんて。
「今日は赤飯だぞ」そのようにおばあちゃんが伝達するときがあるよ。
大豆が入っていてうっすらと赤いんだよ。赤飯のポイントは味があるように見せかけて実はほぼ味がないことだよね。僕は一口目にそのままの赤飯を食べて味のなさを確かめようとする。そうしたらその後に塩をかけるんだよ。しょっぱくなって少しおいしくなるよ。赤い面上で白い粒は見つけやすいよね。
ご飯には色をつけられる。普通は白で、赤飯は赤で、炊き込みご飯は茶色で、そして黄色っぽくできるのがチャーハンなんだ。チャーハンは白いご飯と黄色い卵が融合しているためである。
「チャーハンだぞ」おばあちゃんが持ってくるんだ。
チャーハンの素が台所に置いてあるのも知っているよ。それを交ぜるんだよ。すると赤色や緑色の破片が散らばっていてカラフルな見た目になるよ。しょっぱい味がついているので食べ進めやすいよ。ご飯も卵も加熱前も後も味が乏しいんだ。
おばあちゃんが孫たちのために作ってくれるチャーハンがおいしいかというと、まずいわけではないと思うが、おいしいわけではないように思う。答えに窮するよ。
食卓にあったとして嬉しいわけではないからな。たとえばチャーハンとカップラーメンが一緒に出てきたらちょっとは嬉しいかもしれない。でもそれはチャーハンが嬉しいこととは違う。
「お父さんの作るチャーハンはおいしい」他方で僕の家の子どもたちはその認識を共有している。
お父さんが休みの日があって、彼が僕たちにチャーハンを作ってくれるんだ。お父さん本人は、たぶんチャーハンを食べるのが好きというよりも息子たちのためにチャーハンを作るのが好きなんだ。
おいしいのだったよ。おばあちゃんのチャーハンと何が異なるのか。素材に大差はないはずなんだよね、ご飯、卵、市販のチャーハンの素から成立しているのは間違いがないのだから。
父チャーハンは婆チャーハンよりも乾いている感じがする。晴天の下の海辺でたとえるなら、父チャーハンは誰の足にも踏まれていない砂で、婆チャーハンは波に浸って色が濃く変わって泥っぽくなった砂といったところなのかな。
父チャーハンはよく焼かれているという話なのかもしれない。焦げているような粒が多いような気がする。黒色の比率が、若干婆チャーハンより多いのかもしれない。2つのチャーハンがテーブルに揃い踏みした機会はないので比較は困難だけど。
見た目が汚いのは婆チャーハンのほう。父チャーハンと比べて、1つひとつの卵のかけらがでかいし捨てられた布のように汚れている。大きさのアンバランスさは時に美しさの醸し出しに資するが、ここではだらしない見た目の形成に一役買っているんだよね。
おばあちゃんとお父さんはお互いにどのように思っているのかな、お互いのチャーハンについて。僕たち子どもは彼らに面と向かって、婆チャーハンより父チャーハンが遥かに勝るとは伝えない。
おばあちゃんは息子のチャーハンのほうがクオリティが高いと気づいているのだろうか。お父さんは子どものころ、自らの母親であるおばあちゃんによるチャーハンをどのような気持ちで食べていたのかな。チャーハンの素っていつから売られていたのだろう。
やはりおばあちゃんは昔の人なので料理の技術は僕の両親に劣るんだよね。若い世代が作る食事のほうが洗練されている。年寄りのほうが長く生きているから知識があるかというともちろん全然そうではない。
時代背景が違うんだ。おばあちゃんが子どものころはご飯がそもそも足りなかった。流れる時が土地を肥沃に、人々を豊かに、マッチを自動点火装置にしていった。ただ、おばあちゃんの料理を擁護するならば、おばあちゃんの手作りのポテトマカロニサラダはおいしいかな。
【本質のテキスト6「飯試した テイスト6」に続きます】
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