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1-1 売り場明日リバース 継続と断絶の業界

【本質のテキスト1は“覆しのテキスト”の「売り場明日リバース」です】

1面 継続と断絶の業界
2面 廃棄と保存の境界
3面 分散と集中の内界
4面 少年と少女の外界
5面 強者と弱者の各界
6面 混沌と秩序の魔界
7面 安定と動揺の視界
8面 単数と複数の限界

1面 継続と断絶の業界

「今年で卒業するのって誰」食品売り場の主任が僕に話しかけてきたよ。

「自分と」僕は条件に該当する人物名を列挙しようとしたよ。

「ん?」彼は疑問に感じたようだったよ。「今年卒業?」

「そうですそうです。自分4年生なので」

「4年生? 今年4年生だっけ」

「そうなんですよ」僕は頷いたよ。

「早いな」

僕が1年生から4年生になるまでの時間について「早いな」だってさ。僕が大学の教室で講義を受けている姿を彼が目の当たりにしていなくとも、僕は1、2、3、4年生とあらゆる観点から見て着実に、言い換えるときわめて普通に階段を上ってきたわけで、人生に早送りの機能は備わっていないよ。

そもそも彼は僕が今年卒業すると知らずに僕に対し今年卒業するのは誰かという問いを向けたんだな。指名手配犯に「ここに犯人はいませんでしたか」と質問するようなものだぞ。僕の最初の出勤日から一貫して彼が直属の上司なんだよ。いくらかの人が去っていったしいくらかの人が加わっていった。

「就職?」主任は僕に尋ねたよ。

「いや」僕は返答するんだよ。「就職は決まってないんですけど」

「ん? ここは辞めちゃう?」

「就職決まってないの?」僕と同じドライ食品部門に所属するおばさんも僕にそう話しかけてくるわけなんだよ。

「まあそうなんですけど」

「先生になるんじゃないの」おばさんは訊いてきたよ。「ならないの?」

「引き続きここで働かせてもらえればとは思ってますけど」僕は言ったよ。

「え!」彼女は驚いた声を出したよ。「ここの社員になるの?」

「いや、そういうわけでは」

会話を終えて僕は人たちから離れたよ。物事には表と裏があって、そして小売店には表と裏があるからね。裏にいるときなら従業員は客の監視から解き放たれ、公に示すべき店員のあり方ではない姿で人に言葉を発することができる、とされているよ。

お客様のクレームでありがちなんだよね。「従業員どうしで私語をしている。この店はどうなっているのだ!」と。すると従業員らの休憩室前の掲示スペースに「売り場では私語をしないでください」と印字された紙が貼られるんだよ。裏の働き手もいれば表の働き手もいるんだ。

ガムテープで封じられた段ボール箱が積み重なりかご型の台車、手押し式の台車が散在するバックヤードは時代の進みから取り残された秘密基地のようにうっすら暗い通路で、歩いて抜け出した僕は、広がる天井に巡らされた蛍光灯に激烈に照らされ、赤、緑、白、黄色、数えきれない色々の商品が光るまばゆい1階食品売り場に登場するんだよ。

国語の学校教員になるための大学の教育学部に所属し始めた僕がここで働き始めたころ、こんなに明るい環境ではなかったよ。僕が2年生の後期の講義を受け始めるころかな。店内の発光具合はあの恒星を模したように爆発的に向上してしまったんだ。

あのときはびっくりしたよ。光の量の大変化っていうのはとんでもない。今でこそこの規模が普通だと思い込んでしまっているが当時は大驚愕だよ。扉を開けてお店の裏側から表側に足を踏み入れた瞬間に僕は「うわあ、眩しい!」と叫んでしまった。

店が明るくなりますなんて説明を事前に僕はどの人物や団体からも聞かされていなかったからね。しかし実際のところ「変わった」というより「戻った」という表現が的確である。すなわち店は十数か月の間にわたり節電を行っていたんだよね。嵌めることのできる全箇所に嵌めていた蛍光灯のうち半分程度を取り外していたんだよ。ゆえに僕の就労時は本来の光り輝きの半分程度だったという話だよ。

ではなぜ僕が働き始めたころに消費電力を抑える取り組みを行って、僕が働き慣れたころにぜいたくな方針に変更したのか。この国を襲った大きな地震が理由だったよ。

たくさんの人が死んでしまいたくさんの家が壊れてしまったあの震災で発電所もまた被災し、稼働できないとかどのような種類の発電所を用いるべきなのかといった問題が巻き起こった。とにかく人々が用いる電気の量を制限しようという一体感が醸成され、小売業界の同類たちとたがわずこの店舗も電気の使用を控えた。

あの地震のとき僕はここにはいなくて、この街にもいないで故郷の山間の村の家で椅子に座りながら揺らされていたんだよ。本棚の上に飾っていた戦闘ロボットのプラモデルが俯せに倒れたんだ。いつかこの地にも大きな揺れが襲うと予測されている。首都直下地震と人々は呼んでいる。

「すみません、お餅ってどこにありますか?」僕の知らないおばあさんが緑色のエプロンを身にまとっている僕に尋ねてくるんだよ。

「あちらですね、あちらに」僕は手を差し出して教えたよ。

「あったねえ!」おばあさんは声を上げたよ。「ありがとね」

人といるときの僕と人といないときの僕は違う。顧客と話しているときの多くの時間、僕は自分が店員でしかないように、自分の正体について感じてしまう。ほかにどんな面も備えていないかのように。でも、いらっしゃいませ、と呼びかける僕は本当の僕ではないよ。お客様と呼びかける僕も。

表裏一体なんだよ。たとえばほら、この通路のこちら側は餅が並んでいるんだよ。四角く切ったものが多いが円形のものもあるし、外国の餅っぽい食べ物もあるんだよ。餅を彩るための品物はさらに多くて、たとえばあんこは缶入りのも袋詰めのもあるし、つぶタイプもこしタイプもいろいろあるよ。それにきなこ、焼き海苔などもあるんだよ。

しかしこの棚の裏側には何があるかというと、小麦粉の仲間たちだよ。強力粉、中力粉、薄力粉、それに天ぷら粉、からあげ粉、お好み焼き粉、たこ焼き粉もあるし、パン粉もあるよ。ゼラチンやプリンの素、バニラエッセンスなども置かれているよ。

餅と粉はちょっと違うからね。このちょっと違う2つが隣り合って店を作っているんだよ。こちらから見れば餅、しかしあちらから見れば粉。今度はこちらから見れば粉、そしてあちらから見れば餅。どちらとも見えるような位置から見ようとすると、なんとどちらも見えなくなってしまうんだな。

どの通路にどの品が置かれているかを地上の人々にわからせるために天井から看板を吊り下げているんだよ。記されてあるよね、「餅」と。この看板は表から読んでも裏から読んでも同じなんだよ、こちらから読んでもあちらから読んでも餅だよ。

そんな餅の通路の近くにて売り場の主任が客への対応をしているのを僕は見つけたよ。

「からあげ粉ですか? ございますよ」主任は言って、おばあさんである客を案内しているんだよ。

彼の言い方、「ございますよ」だってさ。「ありますよ」ではなくて「ございますよ」。激しく店員っぽいよね。後者のほうが強力な敬いであることはこの国の言語を使用しない人間であっても語感から判別できるだろう。

面なくして言葉なし。言葉があるならそこは面。「あの人の言葉遣いは素晴らしいな」と思うことが己の言葉遣いを変えるきっかけになるし、あるいは「この人の言葉遣いを真似すべきではないな」と心掛けたりなどもするよね。

言っておくがあの主任は別に普段から言葉遣いが丁寧であるわけではないからな。たとえば年上の社員に対してしばしば「俺やっておいたよ」「あっちに持っていったよ」など同級生に対してのように話しかけるんだよ。彼は表示する面を適切に切り替えることができるということなんだね。

主任である彼は動きも速いしね。段ボール箱に仕舞われた商品を取り出して並べる作業、これにかかる時間が短いということだよ。売り場で品出しの作業を数時間続ける店員にとってこれは最も重宝される能力の1つ。

ただし少なくともその技術では僕も彼にそう劣らない。いくらベテランの労働者であっても、力を注いで本気で取り組まないと段ボール箱を開けて品物を取り出して並べて箱を破壊する、この流れってそうそう迅速にはできない。

その点僕は献身的で有能な学生パートタイマーであるわけで、そして大体そういう人員はオールラウンダーでもあって、今もここ、通路にレシートが落ちているので僕は拾うんだよ。

「さすが」後ろを歩いていた主任が僕に声を掛けたよ。

「まあ」僕は答えたよ。「まあまあ」

僕はつかんだその印刷物を見たよ。明記されているんだよ、いつどの商品をいくつどのレジでどの従業員のもとで精算したのか。字が記されているのは一面だけで、もう片方の面には何も記されない。真っ白なんだよ。

字が記された紙の裏側には何も記されていないよという見方と、白い紙の裏側には字が記されているよという見方などがあるわけだけど、レシート自身はどう思っているのかという問題があるよね。お腹を刻まれている感覚なのか、それとも背中を彫られている感覚なのか。

大切な情報を記していることに誇りを持っているのなら字がある面を表と呼ばれたいかもしれず、そうではなく白い紙として存在していることがプライドで印字を付属と思っているのなら何も書かれていないほうの面を表と呼ばれたいかもしれない。

難しいよね。相手の気持ちを考えるのは。自分の気持ちを考えるのさえ難しいのだから。たとえば今僕はとても怒っているからな。お客様である若いママさんが抱っこしている赤ちゃんがほっぺがぷにぷにだし愛くるしいので僕は笑っちゃうんだ。

【本質のテキスト1「売り場明日リバース 2面 」に続きます】


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