縦心     担当:八木 正典

七十にして心を縦(はな)つ。欲するところ矩を踰えず。(論語為政第二)
七十而縦心、所欲不踰矩
 
 
ある本を読んでいて論語の面白い解釈に出会いました。
これまで私が教わってきた論語では、「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」という言葉で、「自分の思いのままに従っても道理を踏み外すことがなくなった。」との解釈が一般的だと教えていただいておりました。
上記の本では、「心を天地に垂直に立て、天空に向かって高らかにゆるやかに気を放つことを意味する。身も心も現状で十分足りている。生きているという事実、この実感以外に余計なこと、余分なことは必要ないし、求める気もない。」と解釈しております。
 
「鬼神を敬して之を遠ざく」とか「子、怪力乱神を語らず」といった、天を敬いながらも伝統主義、人間主義といった現実路線を貫いた孔子に対して、天に向かって気を放つ、忘我の境に到達し、満ち足りたものとなると捉えることは目新しく、新鮮な気持ちを感じます。ただ聖人のレベルであればそれもまたありうる話だと興味を惹かれています。
 
孔子の高い精神性を新たな目でとらえるきっかけをいただけたことはありがたいものです。論語についてもう少し学びを深めたいと思います。
そしてこれまで学んだことに囚われず、多面的な視点でとらえていきたいと感じております。

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