善     担当:八木正典

つまり、他人や社会がいかに悪かろうが、私一人でも善く生きようという気持ちが強くなってきました。社会や時代が悪いからといって、自分が善く生きることの妨げには全然なりません。(池田晶子)
 
 
引き続き中江藤樹のことを知りたいと思ってその書籍を読んでおります。
その晩年に著された大学解や中庸解等については思想が円熟化しており、藤樹の思想を知る上で欠かせないものだと感じます。
その大学解の中で、明徳は聖人には本然の心となるし、聖人以下のものでも人間として生まれたものは明徳を固有しない者はない。明徳は人間の根となるべきものである。だから人間の意必(我意我執)を取り除く修養が必要であると説いております。
 
結局のところ、治国平天下も一人一人の格物(修身)によるしかないということですし、それぞれの努力によって先天的に固有のものとして持っている明徳をどこまで輝かせることが出来るのかにかかっているのだと改めて感じております。
粘り強く自らの身を正す努力、善である努力を続けたいと思っております。

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