【ココロコラム】親であり続けることの難しさ
今回のココロコラムは、上原めぐみが担当いたします。
今回は、丸山正樹の小説『漂う子』をご紹介したいと思います。
みなさんは「居所不明児童」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「住民票には記載されているのに、居場所が確認できない小・中学生」のことです。『漂う子』は、この「居所不明児童」を扱った小説です。
作家の丸山正樹さんは、この「漂う子」が2作目の小説ですが、前回の『デフ・ヴォイス-法廷の手話通訳士』もそうでしたが、社会的な問題をあつかっています。小説なのでフィクションではありますが、あつかわれている事例は、まったく架空の出来事ではなく、実際に社会のどこかで起っていることをもとに描かれています。
話を「居所不明児童」に戻しますと、文部科学省の調査(【調査時期】 平成24年5月1日現在)によって、全国で1491人の児童の所在が確認されていないことがわかっているそうです。つまり、就学の年齢に達しているはずなのに、学校に行っていないということです。
「居所不明児童」になってしまう原因としては、「家庭が多額債務などにより転居を繰り返している」「父親の暴力から逃れるために、母親が子供を連れて家を出た」などが挙げられます。
『漂う子』に出てくる紗智(さち)は、親の離婚によって父親に連れられて家を出たまま、行方がわからなくなってしまいます。紗智(さち)の小学校の担任である祥子(しょうこ)は心配しますが、「親と一緒にいることが確かである以上、学校が勝手に捜索願を出すわけにもいかない」ということで、家に戻っていないか様子を見に行ったり、親の携帯に連絡を入れたりすることしかできません。しかし、父親は携帯に出ることもなく、いつ行ってもふたりが家に戻っている様子はありません。
そんなある日、祥子(しょうこ)の携帯に電話がかかってきます。「先生?」と一言だけ行って切れてしまった電話の背後から聞こえた駅名のアナウンスを手掛かりに、祥子(しょうこ)の恋人でフリーカメラマンの直(なお)は、紗智(さち)の行方を探す旅に出掛けることになります。
直(なお)は、最初事態を楽観しています。「親と一緒にいるのだから、いわゆる行方不明とは違う」と。旅のはじめに、直(なお)は紗智(さち)が電話をかけてきたと思われる地域の児童相談所を訪れます。
そこで、「居所不明児童」といっても、たとえば先にあげたようなDVなどで母親が子供を連れて逃げている場合などは、「区域外通学」の申請を出して新たな学校に通い、父親に知られないように住民票も移さず元の学校にも知らせない例などがあることを聞かされます。
それを聞いて直(なお)は、紗智(さち)もどこかで父親と一緒に暮らし学校にも通っているのではないかと、少しほっとします。しかし続けて、「居所不明児童」にカウントされていないが実際には居住のわからない子供がいくらでもいることを知るのです。
文部科学省が調査対象にしているのは「一年以上の居住不明者」だけであるということ。なので、いなくなってから2か月足らずの紗智(さち)は調査の対象外だということ。また、住民票のある場所に居住の事実がなければ、住民登録は抹消され、どんな調査の対象からも外れてしまうということを知り、愕然とします。
さらに捜索の過程で「親がいるからといって、安心ではない」という例、むしろ親戚や施設に預けてもらった方がよかったということがいくらでもあるという、社会の闇を次々と見せられることになります。
ミステリーという形をとっているので、どんどん読み進められます。まとまった時間があれば、1日、2日で読み終えることができるでしょう。しかし、そのあとに残るものはとても重いものです。
私たちが考えている「ふつうの親」であることは、実際はとてつもなく難しいことであることを思わずにはいられません。現在親である人、まだ十代の学生である子供たち、またかつて子供であったすべての大人に読んでいただきたい小説です。
「漂う子」丸山正樹 河出書房新社より刊行されています。
(上原めぐみ)
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