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母がいた-19

今日、友人の運転する車に乗って父が生まれ育った家を見に行った。父方の祖父母は早くに他界し、その後家は長いこと空き家となっていたので老朽化が進んでいた。ところどころ朽ちてしまった家の中を歩きながら祖母の顔を思い出そうとしたが、その顔は浮かんでこなかった。

時間というのは良くも悪くも何かを忘れさせるものだ。今日祖母の顔を思い出せなくなっていたように、いつかは写真を見なければ母の顔も思い出せなくなる日がくるのかもしれない。そう思うと、こうして母との思い出を記事にすることには何か意義や意味がある、と感じた。

父の実家は床屋を営んでいた。1階の大きなガラスのはめ込まれた引き戸を開けると散髪用の昇降椅子が並んでいる。埃っぽい室内に設置された、もう誰も座ることのないその椅子と正面にある鏡を見ると、少し寂しい気持ちになった。

父から聞いた話では、年末年始は特に忙しく、綺麗に整えられた髪で新年を迎えたいお客さん、新年を迎えて去年の悪い記憶や感情を髪と一緒に断ち切りたいお客さんでいっぱいだったらしい。年末年始に賑わう床屋。なんだか縁起が良く感じて、僕はこの話が好きだ。

父の生家は近々取り壊されることが決まっている。ここの全てがなくなってしまうのがなんだか嫌で、壁に掛けられていた価格表のボードを持って帰ってきた。それを見た父は喜んでいたので、うれしかった。

前置きが少し長くなったが、今日は母の髪型についての話を書こうと思う。

母の髪型は僕が物心ついたころからずっとベリーショートの短髪だった。近い髪型の芸能人が浮かばなかったので、ここではリトルマーメイドのアースラを例に挙げておく。アースラの髪型をもう少し短くした金髪メッシュだ。というか髪型だけでなく雰囲気もちょっと似ていた。あそこまで悪役顔ではなかったが、天童よしみとアースラを足して2で割るとちょうど良い感じ。我ながら的確な例え。

顔の話はおいといて、僕にはそんな母の髪型を恥ずかしいと思う時期があった。当時僕の友人のお母さんたちは、長い髪に少しパーマをかけていたり、短くてもボブくらいの長さだったり、(この表現はあまり好きではないが)女性らしくてTHE・お母さん、という髪型の人ばかりだった。

今思うと、母の髪が短いことが恥ずかしかったのではなく「ほかのお母さんと違う」ことが恥ずかしかったのだと思う。授業参観や運動会では、ぽっちゃりしたド短髪の母はとても目立っていたし、僕と母は顔がそっくりなこともあり同級生から「どっちがだいすけかわからん!」と言ってからかわれていたからだ。

僕はことあるごとに「お母さん髪延ばさんと?」と聞いていた気がする。そのたびに母は「やだー!長いの面倒くさいもん」と返していた。母はPTAに所属していたので、頻繁に小学校に顔を出していた。そんな事情もあって、僕は母が学校に来ることを嫌っていた。友達に見られたくないな、と思っていた。

5年生になった春、台所で料理をする母にむかって僕は「お母さんの髪が短いと友達に笑われるけん嫌っちゃんね」と言った。今考えるとお前大概にしろよと思うが、事実なので書く。

母は少し驚いたような顔をした。たぶんショックだったんだと思う。ただ、そのあとちょっとわざとらしく胸を張り、「人と違うことは恥ずかしいことじゃないよ。笑われても気にしなさんな。いつか人と違う部分があんたの自信になる」と言って明るい金髪メッシュの毛先をいじりながら笑って返した。

これがドラマならここで幼い僕が感銘を受けたりするのだろうが、当時の僕は意味が分からず「なにそれ。恥ずかしいもんは恥ずかしい」とか返した気がする。あっだめだ書いてて悲しくなってきた。悲しくなってきたけど書く。

結局母の髪型に対する僕の意識はすぐには変わらなかった。ただ、その少し後に友達に言われた「お母さんの髪型カッコいいね」という軽い一言で僕の意識は簡単にひっくり返った。単純なものだ。子どもの意識なんてそんなものなのかもしれないけれど、自分の単純さにちょっと笑ってしまう。

経緯はどうあれ、それから僕は母が学校に来ることを恥ずかしいとは思わなくなったし、友達に「カッコいいやろ」と言って自慢するようになった。そうすると周りも自然と「うちのお母さんもあんな髪型にせんかな」「カッコいいね」と返してくれるようになっていったのを覚えている。自分の発言で周囲の人を変えることは難しいが、小さな印象は変えることが出来る。これも一つの学びだ。

ただ、結局それ以降、母が他界するまで髪型の話はしなかった。いま大人になって、こうして思い出として書いていて、あの時の母の言葉についてもっと話をしていればよかったと思う。「いつか人と違う部分があんたの自信になる」と言ってくれた母に、もっと感謝したかった。

僕は今でもすぐに「人と違う」ことを恐れてしまうし、そのくせ「特別になりたい」とも思っている厄介な自意識を抱えているが、最近になって少しだけ変化があった。

今年の4月に、初めて金髪にしたのだ。小さな変化だが、それでも僕にとっては思い切った変化だった。「今しかできないと思って」とか「いつかやってみたかったんだよね」と友人には話していたし、実際そう思っていたのも事実ではあるが、心のどこかには「母の真似をしてみよう」という気持ちがあった。

人と違う部分に少しでも胸を張れるようになっているか、確かめてみたかったのだ。結果、僕は金髪の自分をとても気に入った。人と違う部分、個性に小さな自信を持つことが出来た。それがとても嬉しかった。

母は外見ではなくもっと内面的な部分をさしてあの言葉を僕にくれたのだろうが、まだ心の根っこまでは変わることができていない。それにはもっと長い時間が必要なんだろうなと思っている。ただ、小学5年生のころの僕よりは、人と違う部分に胸を張れるようになってきたよ、と金髪の毛先をいじりながら、母に報告した。

人と違うことを恐れず
自分の姿と心に胸を張る
そんな、母がいた。

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