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母がいた-2

今日、ケーキを買った。僕は昔からケーキが好きだ。手軽なコンビニスイーツやお菓子も好きだけど、箱に詰められて、家に帰るまでつぶれないよう丁寧に運ぶ少し特別な時間が楽しい。

母も同じくケーキが好きな人だった。同じくというより、母のケーキ好きが僕と姉にも刷り込まれている。それは母がケーキを買って帰ってきた時、いつも大切そうに冷蔵庫へおさめるのを見ていたからだと思う。そんな日の母はいつもより少し僕らに甘くて、おねだりをする絶好のタイミングだった。

好きということは、それだけ執着しているということでもある。
僕が小学校2年生の時、学校から帰ってきて冷蔵庫を開けるとシンプルなイチゴのショートケーキが2つ入っていた。当時母は会社に勤めていて、僕が帰る時間には家にいなかった。

僕は「おお、今日のおやつは豪華だな」と思いながら、遊びに来ていた幼馴染と1つずつケーキを平らげた。それからしばらくゲームをしたり漫画を読んだりしながら過ごしていると、母が仕事から帰ってきた。

幼馴染に挨拶しながらコーヒーを飲む母に「おやつのケーキおいしかった!」と感謝の気持ちを伝えると、それまで笑顔だった母の顔色がサッと青くなり「えっあのケーキ食べたの?え!?」と慌てて冷蔵庫に向かう。バンと扉を開き冷蔵庫にケーキがないことを確認した母は

「ない….あたしのケーキが….ない.…」と大きく肩を落とした。

後から聞いた話だが、どうやらその日の仕事が忙しくなることを事前に知っていた母は自分へのご褒美にケーキを2つ用意していたのだそうだ。

そんな事情を知らない僕と幼馴染は、突然冷蔵庫を開けたり閉めたりする母の姿を見て呆気にとられた。今でもはっきり覚えているのは、「大人でもケーキ1つでこんなに落ち込むんだ」と驚いたことだ。

とにかく母を落ち着かせなければと、小学生2人が「一回座ろう」「ごめんね」と慌ててなだめていると、母はカバンから財布を取り出し、1万円札を机に置き、「買ってきて、ケーキを、すぐ」と言った。

これはいけない、本当に怒らせてしまった、と焦りながらその1万円札を掴み、幼馴染と2人逃げるように靴のかかとを踏みながら家を飛び出た。今考えればケーキを買うのに1万円札を取り出した母が相当取り乱していたことがわかる。

確か時間は18時過ぎだったと思う。近所にあるケーキ屋さんは個人店で、18時30分には閉まってしまう。それだけは避けなければと、全力で走ってなんとかケーキ屋にたどり着いた。お店の明かりはついている。

「イチゴのショートケーキ2個ください!」
汗だくで駆け込んできた子供の大声に、店主のおじいさんは目を丸くして、それから困ったように「カットケーキは売り切れてるよ」と言った。

どうしよう、と幼馴染と2人顔を青くしている僕を見て、店主さんが「そんなに欲しいの?大事な買い物なの?」と聞いてくれて、僕らが必死にうなずくと「そうかあ。じゃあもう閉めるところだったし、特別ね」と、ショーケースの中に残っていたホールケーキを取り出して切り分けてくれた。

なんとか手に入れた2つのイチゴのショートケーキを大切に抱え、財布を持って出なかったせいでジャラジャラとかさばるおつりをポケットに詰めて、幼馴染と僕は家に戻った。

リビングのドアを開けると、母は申し訳なさそうに、恥ずかしそうに、「さっきはごめんね」とうなだれていた。それでもまだしっかり落ち込んでいる。

その時に沸き上がった気持ちを当時は理解できなかったが、今思い返すとそれはきっと自分たちが勝手にケーキを食べたのが悪かったのに、母を2度も悲しませてしまったやるせなさだったように思う。

僕たちこそごめんね、と謝って、それから1つは母、もう1つは幼馴染と僕でイチゴのショートケーキを食べた。笑いながら、たくさん話しながらケーキを食べた。母の落胆っぷりはすぐに笑い話になっていた。

それ以降、冷蔵庫のケーキを勝手に食べることはなくなった。母の食べ物に対する執着を、身をもって学んだからだ。びっくりしたし、焦ったし、申し訳なかったけど、母の大切にしていることを1つ知ることができた思い出だ。

ただ、そのせいか今でも冷蔵庫のものを使うときは父に「これ使ってもいい?」と聞く癖がついた。自分で買ってきたお肉なのに。なかなかこの癖は抜けそうにない。

食べることが大好きで
好物のこととなると
子供のように落ち込む
そんな、母がいた。

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