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母がいた-29

僕は今年の頭からハムスターを飼っている。飼っているというか、お世話をさせていただいているような感覚。スノーホワイトジャンガリアンのかんたろうさんだ。東京に初雪が降った日にお迎えしたので、かんたろうさん。我ながら気に入ってる名づけだったりする。

今この記事を書いているのが夜の12時頃で、だいたいこの時間になると回し車を一生懸命回し始める。今も部屋の隅からカラカラとかわいい音が聞こえてくる。まじで超かわいい。愛しかない。

そんなハムスターにまつわる母の話を思い出したので、覚えていることをぼんやり書いてみる。

僕が小学3年生くらいのころ、当時はまだテキ屋のおじさんが町のいたるところでいろいろなものを売っていた。暗闇で光る石、ゴムが強すぎて本当に危ないパチンコ、プラスチックのナイフなど。こどものおこづかいでギリギリ買えてしまうくらいのいやらしい価格帯だった。

そして僕はというと、いつも友達が何かを買うのをうらやましそうに指をくわえてみているタイプの子どもだったと思う。一つの大きな買い物をするより、たくさんお菓子を買う方が嬉しいと感じる性格をしていたのも影響しているけれど、なんとなく持って帰ったら「なんでこんなもの買ったの」と言われるのが分かっていたからな気もする。

そんなこんなで。その日いつも通り友達と一緒に怪しいおっちゃんの広げる風呂敷を見ていたら、その日はいつもと違うものが売っていた。ハムスター。生き物だ。「このおっちゃんどんな仕入れルートを持ってるんだ」と驚いたが、おがくずの中でもそもそと動く小さな命は僕の購買欲求と庇護欲求をばちくそに搔き立てた。それはもう見事に。

価格は確か500円とかだった気がする。漫画が買いたくてためていたお小遣いでギリギリ買える値段だ。早々に興味を無くして公園に行こうとせがむ友達を待たせ、僕は20分ほど迷いに迷い、そのハムスターを買った。

おっちゃんが小さな紙箱におがくずとハムスターを詰め、「可愛がれな」と僕に差し出す。命を買った。初めての経験に僕は興奮していた。

ちいこき命を腕に抱えた僕はその日遊ぼうといっていた友達と別れ、小走りで家に帰った。途中落としそうになって、膝から転んだのを覚えている。痛かったけど、箱を落とさずに済んでほっとした。

家に帰ると母が料理をしていた。勝手にハムスターを買ってきたはいいものの、母になんて言えばよいか考えていなかった僕は、台所の入り口で固まる。母がおかえりと言いながら振り返り、僕が手に持っている紙箱を見て「え、それなに・・・何買ってきたの・・・」と眉をひそめている。

僕は台所のテーブルに紙箱を置いて、「勢いで・・・」と言った。母は恐る恐る箱に近づき、箱の中身を見て悲鳴を上げた。

「ねずみ!!!!!!」

忘れていた。母はネズミが苦手だった。ドラえもんばりに。

本気で嫌そうな顔をしている母を横目に姉はテンションをあげていた。僕と姉がキャッキャと騒いでいたので、なしくずしに飼うことが決まり、その日のうちにケージやエサなどを用意して、我が家にハムスターがやってきた。名前はこつぶさん。

あとから判明したのだが、このこつぶさん、実はハムスターではなかった。飼ったときは赤ちゃんで気付かなかったが、みるみるうちにでかくなり大人の手と同じくらいのサイズになり、そして真っ赤な目をしていたのであれはきっとハムスターではなくモルモットの類だったのだと思う。

そんなこつぶさんを、小さいとはいえ子どもひとりで面倒をみられるはずもなく、はじめは本当に嫌がっていた母も渋々一緒に面倒をみてくれるようになった。

ケージをひっかいていれば部屋の中で散歩をさせ、定期的にケージの床材を交換し、大切そうに世話をしてくれた母には感謝している。僕がはじめて飼った命に対して、敬意を持つことを学ばせてくれた。

最終的に2年ほど健やかに生きたこつぶさんだったが、エサを食べなくなり、あまり走り回らなくなったころ、寿命が近づいていることが分かった。動物病院に連れていき、栄養価の高いペースト状のエサをもらい、母と交代でシリンジで給餌をした。その頃には母もこつぶさんに慣れて、本当に丁寧に世話をしてくれるようになっていた。

それからしばらくしてこつぶさんはこの世を去り、庭の植木鉢に埋められた。当然僕は泣いてしまったけれど、驚いたのは母も一緒に悲しんでいたことだった。あんなに嫌いだったねずみを亡くして涙してくれる母のやさしさがありがたくて、僕はもっと泣いた。

今、僕は20数年ぶりにハムスターを飼っている。あのころより世話は得意になったし、ひとりで面倒も見られるようになったけど、それは母のおかげだ。かんたろうさんが元気に回し車を回しているのを見て、たまに母を思い出す。僕も母のように命に敬意を払い、最後までかんたろうさんに楽しく過ごしてもらえるようにがんばろう、と思った。

苦手なねずみを克服し
命の大切さを教えてくれた
そんな、母がいた。

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