合唱指導。話が長くなる理由を真剣に考えたら、、
、やるべきことが見えてきたかも。
…というのが正確なタイトル(^^)
〜前置き〜
自己紹介文にもある通り、趣味で続けている合唱。自分は初心者初心者と思い続けてましたが、いつの間にか歴が10年目になろうとしてます。
その節目に…というわけではなく色んな事情やタイミングが重なってなのですが、半年前くらいに合唱団を立ち上げました。慣れないけれど調べまくってホームページも作ったりして。( ´∀`)
Koala Harmoniaホームページ
『好きなことを真剣に面白く』が成り行きでキャッチコピーになったのですが、結構気にいっています♪
この団体で、なんとなく前に立って、指揮をしたりするようになりました。合唱団体でそういう振る舞いをするのは、たぶん3年ぶり?くらいです。
もともと大学合唱団の学指揮あがりの私。
そこから2〜3年空いて、今も所属してる別の一般団体で10ヶ月くらい指揮をしていたことがあります。そこからさらに3年くらい経った、と。
継続が大切な界隈なので、こうも虫食いでやってるとなかなか思うようにコトは進みません(汗)それでも、持ち前の向上心で楽しみながらやっています☆
今前に立っているKoala Harmoniaという団体は、殆どが「久しぶりに合唱をする人」あるいは「未経験者」で構成されています。とてもありがたいことに、毎回の練習に数名の見学者が訪れてくれている状態です。(うち2名、入団を即決してくれた人がいます。ありがたい。涙)
そんな中で大切にしているのが「練習のフィードバック」。Googleフォームで毎回簡単なアンケートを作って、充実感をはじめ良かったこと・気がついたことなどを記載してもらっています。
このフィードバックで、先日とてもいい意見をもらいました。(客観的に自分を見直すきっかけをくれて感謝です。)自分の指導についてもっとこうしてほしいという内容で、具体的にいうと「話が長いかもしれません…」と(汗)
歌い手が「もっと歌わしてくれ!」と思う状況は良くないと思うし、自分でも長いかな…と自覚はあって。もっとテンポよく練習できないかと悩んでいたところだったので『どうして練習中話が長くなっちゃうんだろう…』と録音を聞き返して真剣に振り返ってみました。
前置きが長くなりましたが、そこで気がついたことを記録します。
話が長くなる理由は2つあった
まず問題点として整理したのが、
「軽い指摘、確認でも説明ターンに入っちゃう」
「最低限の言葉選びができてない」でした。
これはそれぞれ、『できるだけ表面的なことではなく根本的なことを伝えたい』という気持ちと、それを『端的に伝えるスキルがまだない』のが相まって起こってることだなーと自己分析しています。
『根本的なことを伝えたい』
例えば、3小節間くらいでクレッシェンドのフレーズがあったとします。
「ここはクレッシェンドですね?
意味はだんだん強く!
じわじわ大きくしてください!はいっ!」
と、進めることはできます。
実際、クレッシェンドにもなると思います。
でも、この場合の私が伝えたいことって
「ここは○○○だからクレッシェンドになってると思います」
「○○○だから△△△のように広げてほしいです」
「△△△のためには身体を◇◇◇にしましょう」
…みたいな。こうしてじわじわと時間が経過しているんですね(汗)
1.楽譜の中のそうなってる理由を説明したい
2.そこからどういう風に歌ったらいいか伝えたい
3.そのための発声方法も言いたい
…もちろん全部のところでこんなに長々はしてないですが、この3つの要素を交互にだして繰り返してる感じでした。さらに、3つ目の発声方法は自分の中で感覚的なことが多いし専門的な知識もないからなんとなく核心につけなくてグダッちゃう。
どうしていちいちそこまで説明するのか?…と言われると、「なるほど!」と納得して歌ってほしい。それを楽しんでほしい!という想いがあるからです。もちろん、ただの自己満足な想いだけじゃなくて、こういうバックボーンを知っている方が音楽の再現性は高い(次の練習でもちゃんと思い出せる)んじゃないか…という実体験も踏まえています。
ただ、これは歌い手の「納得」があってこそなので…もしただ「長いなぁ〜」と思われてるだけだったら本当に時間が過ぎただけになってしまう。そこで『伝えるスキル』がものすごく重要なんだなと思いました。
『言葉を伝えるスキル』
自分以外のこの人の練習楽しいな〜!って思う人の指導と比べたとき、そういう人はうまい例えがすぐ浮かんだり、適切なポイントを抑えて伝えることができてるんですよね…。たとえ長くても、すごく惹きつけられる話をするから聞けたり。
またまた例をあげるなら、「和音をあわせよう」と思って歌ってもらったとき、今の私の実力では「良いか、悪いか」くらいしか瞬時に判断ができません。(これが、本当にピンとこない。何をもって良い悪いと感じてるか、が上手く言語化できなくて。)
わかる人なら「アルトがもうちょっとピッチ高く」と言えたり、「ベースとソプラノの5度が合ってないな」と瞬時に指摘・指導できて、歌い手もそれに対応できる。理想的な姿です。
現状は、「まずは低声で歌ってみて」というように、まるで因数分解するかのごとく紐解きながらやっています(汗)こればっかりは、鍛錬しかないので、短く短くと思ってもどうしようもできないんですよね。だからこそ、「ベースがもっとこうしたらいいんじゃない?」とかの歌い手からの指摘はとても助かります。
自分が実現したいこと、に対しての
「どこがどうなってくれたら」という部分。
それを、今メンバーが定まってない状態の声を聞いて瞬間的に判断したり、分かりやすく伝えることがまだまだ未熟でした。
あと、指導するのは久しぶりだけどこれまで「歌い手」としては長く続けてきた分『こうしたい』『こうなってほしい』は学生のときよりも溢れ出てるんですよね(苦笑)学生のときはある程度で最高だ!言えてたものが、そうじゃなくなってきてる。その差は今の指導じゃ埋められない…けど埋めようとして話も伸びる!!(汗)
分かっていたことだけど、自己分析してさまざまと証明された気分で、やっぱりけっこう悔しい〜。゚(゚´ω`゚)゚。ってなります。
これからやるべきことは、ひたすらインプットとアウトプットを繰り返すことなので、考えることをやめずにしばらくは走っていたいかな。発声についてはスポット的にでも外部の指導者が必要だとも思っています。
でも、しっかり↑のように考えたことはメンバー専用のサイト内で「指導コラム」として今のメンバーには伝えることができました。
私は初期から先陣をきってこの活動を進めてきたので、『自分の意見が一番』に自然となっていってしまうんじゃないか…ということを、とても危惧していました。合唱を初めてする人にとっては、言われたことの取捨選択も難しい環境です。
自分はまだまだ未熟だし、万能じゃない、みんなの意見がとても助かる、と素直に伝えられたことは一つ良かったことだと思っています。
理想と現実のギャップをいいタイミング、いいシチュエーションで感じられたんじゃないかなとポジティブな心持ちです。
初心者と経験者が混在するときの指導
あともう一つ、「初心者がいるときは指導スタンスを変えてもいいかも」という意見もあって。
これについては、私は意識的に『初心者・経験者で指導法は大きく変えない』と決めてました。
(いいのかどうかはまだ分からないですが…)
その理由も備忘録としてとっておきます。
※前提として「経験者」の中でもレベルがあると思います。それによってはもちろん変えないといけませんが、今回の現状としては経験者も専門的に音楽をしていなかったり、久しぶりに合唱する人が多い…という場合です。
初心者も経験者も変わらない「壁」がある
ふと、初心者の困難は2種類あると思ったんです。
一つは用語の壁、もう一つは方法の壁。
用語の壁は、「内声ってなに?」とか「<>←この記号って何だろう?」「フォルテの意味は?」とか…いわゆる知識の壁だと思っています。
方法の壁は、「<>←この記号をどうやったら表現出来るか?」「どうしたらフォルテで歌えるか」といった歌の再現性の壁です。
用語の壁は、続けていれば自然と感覚的に身につくものなんじゃないか、と。
例えば、「ピッチって何ですか?」「和音って何ですか?」と聞かれて(専門知識のない人で)明確な定義をスラスラ言える経験者の人はどのくらいいるでしょうか。(もちろん正確に知っているに越したことはないけれど、)おそらく感覚的に認識しているものが多いはずです。
一方で方法の壁は、経験者でも身につき方にムラがあります。さらには、いろんな方法があるためアプローチも様々です。
この「方法の壁」にこそ重心をおいて指導したいな…と考えていたので、あまり初心者だから、経験者だから、という切り替え方はしていなかったんだな。と思いました。
初心者フォローは誰の役割?
おそらく、実際の練習で経験者メンバーが「それじゃ初心者には伝わらないんじゃ…」と不安に思った部分は「用語の壁」の範囲だと思ったんです。もちろん、これについてもフォローの必要があるし、私もけっこう気にはしてます。置いてけぼりになるのはよくないので。
ただ、これは前にいる人に任せっきりじゃなく、経験者の人が積極的に出来る領域なんじゃないか…?とも思いました。
学指揮時代、他大学の指揮者から聞いた話でこんなのがあります。
学生指揮者を育てるため、新入生がいる練習で歌い手の2〜4年生は練習中、指揮者に質問をたくさんするそうなんです。「フォルテってなんですか?」「テヌートってどう歌いますか?」「pocoの意味は?」みたいな調子で。
『自分たちには分かるけど、新入生には分からないから』という視点と、『学指揮に初心者にも視野を広げてもらう』『初心者に伝えることで自分の理解も深まる』という目的があるらしく、それ自体の否定はしないのですが……。
私は当時この話を聞いて震えてましたね(笑)
そんなに指揮者を虐めないでよ!
なんでみんなが敵になっちゃうの?!
若い指揮者を助けてよ!…と。
(もし自分が20歳そこそことかでやられてたら泣いてたかもしれない(笑))
『指揮者全任せ』みたいな空気感は、自分のこれまでの経験上よくないな〜と思ってしまうんです。(プロフェッショナルな人は別かもしれませんが、何度も言うように私は未熟者なので…)
話は戻って、経験者中心に全員で声を上げて初心者の人でも巻き込んで練習が進んでいくのが理想的だなと思いました。(もちろん、用語の壁だけでなく、方法の壁についても意見が活発にでるのが理想ですが、まずとっかかりやすいのは用語のほうかな。と。)
おまけ〜「敷居が低い」ってなんだろう
今立ち上げた団体は、「敷居が低くありたいな」と思っていました。合唱って続けていると知り合いも増えて、けっこうコミュニティが固まると(それが楽しいところでもあるけど)内輪感が滲んじゃう場面もあるのかな、と思っていて。
例えば初心者の人や、何年間も歌ってない人がポンっといつ入ってきたとしても『楽しかった!』と思ってもらえる団体にしたいなと。
それを心がけてHPとかTwitterとかやったり、メンバーが率先して声掛けしてくれたおかげで見学者がたくさんくるようになったんですが、結構その後の動きに一喜一憂してしまってたんです、私(苦笑)
「入団はしません!」と言われたり、パタっと音信不通になったりすると、自分の練習がつまらなかったんだー(涙)とか、なんかガツガツしてるのがよくなかったのか…⁈(悩)みたいな後悔があって。でも、この思考回路もよくないぞ!っと思って、そもそも見学にきた全員が入ってくれるわけないじゃん。というマインドに切り替わりました←(最近、やっと…!!)
「初心者・未経験者でも入りやすい」というのはもちろんそうしたい!のですが、それ即ち『万人の』ではないと思い直すことが今はできています。「すべての人に好かれる人間」なんていないように、「すべての人に最高の団体だと思われる」ことは不可能で。
でも「好かれやすい人」がいるように、「好かれやすい団体」もあってもいいかな。
キッカケはなんでもいいと思ってます。純粋にメンバーの誰かに魅力を感じたり、団体の雰囲気や方針をよく思ってくれる人もいる。練習後のファミレス会が好きだと言ってくれる人もいるかもしれない(笑)。「敷居が低い」とは、そんな風に何かに共感して入団を決めてくれた人にとって、年齢や経験値がネックにならない…という考え方なんだろうなと。
共感してくれて入りたいけど事情が…っていう人にはとことん寄り添っていたい。逆に、そうじゃない人が去ってしまったのに落ち込む必要もないじゃないかー…!と。(汗)
改めて、私の思う「敷居の低さ」は『万人受け』を狙っているわけではなく『好きなことを真剣に面白く』することに共感してくれる人を探していて、その共感してくれる人にとって障害がないこと…を指しているんだなと感じました。
まだまだスタート地点ですが、いつでも柔軟な心で自分の信じた活動をやっていきたいです!!(^^)