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スーパーはくとに乗って

 「じゃあ、もう辞めます。」

 退職の意志が自分でも驚くほどすんなりと口からこぼれたその日、私はスーパーはくとに乗り移動する間のほとんどを泣いて過ごした。嗚咽のようなものでもなく、号泣というほどでもないが、止めようとすればするほどそれは溢れて止まってはくれない。切符を確認しにきた女性の車掌さんが、随分と気を使って視線をはずしてくれるのが伝わってきた。アラサー女が年甲斐もなく電車で涙をぬぐっている。大失恋や上京には見えないだろうから、一体どう思われているんだろう…と目頭をタオルで抑えながら考える。

 倉吉・鳥取・郡家(こおげ)・智頭(ちづ)・大原・佐用(さよ)・上郡(かみごおり)・姫路・明石までの道のり。眠ることも音楽を聴くこともせず、ただ脳内をめぐるもの。これは、その回想である。


+倉吉~鳥取+

 ほんの1週間前まで、私は仕事のやる気に満ち溢れていた。在宅ながら、一生続けてもいいような仕事をやっと見つけたような気がして嬉しかった。倉吉に足を運んだのは、山陰に取引先が多くあり、挨拶回りをする出張の予定があったからである。

 ところが、それが本社での緊急会議に変わったのは突然のことだった。ドラマでよくあるような【悪者が最高権力者であることによって虐げられる人々】そんな構図を人生で初めて体験した。1時間と少し会議は続いただろうか。「もうここは自分の居場所じゃない」と思うには十分すぎる内容だった。最近気に入っているフレーズを使うなら、『会話は成立しているが、対話は成立していない。』(『正欲』/朝井リョウ著)終始そういう状態だったと思う。

 出発の日、「本当に辞める?」
 その問いかけに、「はい。」

 としっかり返事ができたことに、自分でも心底驚いた。もっと「いやぁ…」とか「そうですねぇ…」とかを言うのかと思っていた。早くここから脱出したいという、本能的なものが働いたのかもしれない。

 鳥取県に宿泊している間はほとんど眠れなかった。映画を見た。アニメをみた。音楽を聴いた。没頭できる代わりのものをみつけては、それができるから自分は元気だと暗示をかけた。何度もSNSに詳細を暴露したかったし、5ちゃんに書き込みをしたくなった。けれど、そんなことはしない。自分のモヤモヤが根本的に解消されるわけではなく、むしろ増幅することを知っているからである。

 駅の改札を抜けスーパーはくとに乗り込むと、自分の不遇を思って泣いた。色んなことを全部棚に上げて、とにかく自分のことを慰めたかった。そのあと、自分と同じ想いをしながらまだ辞められない人を思い出し泣いた。「残っていたほうがよかったのかな…」そんな気持ちを払拭すべく、私と権力者の「ズレ」を思い返す。


+鳥取〜郡家 +

 一人5,000円くらい支払って、従業員一斉の性格診断をしたことがある。時間をかけて、アホみたいな量の質問に答え、分析され、それをもとに「自分や相手のことを知ろう」なんて言う研修だ。正直、滑稽だと思った。聞きなれないかしこまった言葉で自分の性格が出力され、読み上げて「合っている」とか「合っていない」とか。挙句最後にいわれるのが「これがすべてではない」「あっているとは限らない」。

 当たり前だろ、そんなこと。

 20人規模の会社で、一人5,000円も払って数値や色で見える化されないと従業員の性格がわからない。そんな人がトップだと思うと甚だ可笑しかった。でも、「やってよかったです」「参考になりました」という。いかにもタメになったフリをする。あぁ、さすれば私も共犯者か。


+郡家~智頭+

 私は、私自身のことを「ワカッテル」風で接されることが一番しんどい。

 電話なんかでよく
 「それはこう思うんですけど…」というと、
 『あぁ~それね、言われると思ってたんですよ~』という回答。

 文字で読めばきっと気付くだろう。そう。「思ってたなら最初からしてよ」である。だけどこういうとき、私はつい一緒に笑ってしまう。円滑にしたくて、笑いながら明るく「お願いしますね」と言う。心の中で中指を立てながら。

 数々の営業マンと接していると、「あなたはこういうタイプだから、こう思ってるんでしょうね」というような『自分は人間観察眼か鋭く世の中のことをよくワカッテル風の勘違い(ウー)マン』とよく遭遇する。長年の付き合いの家族や友人でもないのに他人の性格を分析するなんて、とても失礼な話だ。そもそも、付き合いの長い家族や友人は私のことをそんな風に本でよく聞く性格なんかにあてはめたりしない。お前ごときに、私の何が分かるんだと一気に心の距離をとってしまう。分析するのは自由だが、それを本人に答え合わせしようとするなんて、おこがましいったらありゃしない。きっと正解率100%なんでしょう。否定してくれるような親しい人にはしないから。

 「本をいくら読んで勉強したって人の気持ちは分からない。人の気持ちは本ではないからだ。」小学生の頃なにかの本で、読んだ。未だにその通りだと思う。こういうのを頭では分かっていても、実際の何かとなると途端に忘れてしまうのはなぜだろう。自戒を込める。


+智頭~大原+

 もともと言いたいことを言うのに躊躇するタイプだった。自分の想いを伝えようとすると感情が高ぶり泣いてしまう。小学生の頃、なにか発表会があると、練習をふざける男子に注意して泣いちゃう女子。恥ずかしいけど、典型的なああいうタイプ。しかし大学に行き地元を離れると、今まで考えられなかった経験が、私の度胸や根性を信じられないくらい強化させた。
 「言いたいことは言う。だけど言うべきときに、言葉を考える。」
 社会人2年目くらいで、「主張する」ことにあまり躊躇しなくなった。ただ、常に言葉には細心の注意を払っている。触れないほうがいいと思ったら突っ込まない。自分の在りたい姿とは反対方向でも、その人が苦しくならない方向であるべきで…、あ、車窓がピンクだ。

 ショッキングピンクに色づいたそこは、【恋山形駅】とあった。停車位置ではなかったが、思ったよりゆっくり進んでよく見えた。(インスタでみたやつだ)と思い出す。女の人が後ろ姿でたくさんの写真をアップしていて、「日本で4つしかない恋の駅だよ!」とあった。その、ショッキングピンクに彩られた無人駅を窓越しに見たとき、ふと地元の景観エピソードが浮かんだ。

 「街並み」が残る地元の主要駅そばにあるドラッグストアは茶色だ。一般的にはピンクかグリーンのイメージだったから、「街並み」のために茶色になったと風の噂できいて感心していた。その後、そばにショッキングピンクのガソリンスタンドが建つまでは。当時、ガソリンスタンドのピンクは嫌というほど浮いて見えたのに、今では「そういう姿」としてすっかりなじんでいるようにも思う。

 そんな地区もあるのに積極的に真っピンクにしているところがあるのか、と。なんだかこの地区らしいなと思った。スマホの中でみたオシャレな女の人が日傘で佇む駅とはずいぶん印象が違う。ショッキングピンクが、ポップな文字が、周りの自然と利用者の少なさが醸し出す雰囲気の中で随分と浮いて見えた。無作為に散りばめられた枠線の太いハート、キューピットの世界線にしかない羽のついたハート、ピンクに塗られた道が剝げはじめている感じ、「恋ポスト」のポのマルの部分がハートになっているあたり、こう、なんともいえず、絶妙に照れくさいのだ。駅自体が全身で人の目を引こうとしている感じが、素直に「映え」だと認識できない自分のことを憂いた。

 ここで、随分と思考が飛躍していったな、と思う。少し涙は止まっていたようだ。


+大原~佐用+

 直近3日間のことを思い出していた。
 きっと芯では青くさいのが好きなんだよな、と思う。大人になれ、それが社会ってもんだ、なんてありきたりなことを言われると反吐が出る。そんなこと、とっくの前から知ってるよ。それでも理不尽に虐げられるくらいなら、青いままがよかった。だから仕組みに縛られない表現の世界の居心地がいい。でも、それだけじゃ食っていけない。社会の、自分本来の性質とはかけ離れた世界で、社会用の自分をまとわなければならない。そんな自分を、ずっと受け入れて生きてきたのだ。

 (来月から仕事どうしよう…)と悩む。ここまで考えておいて結論、仕事の喪失感は仕事でしか埋まらない、という当たり前のことを思い知っただけだった。つまらない。もっと劇的な気づきとか、発見とか、思考の本質を覆すような、そういうことを期待していたのに。

 そう、今私は思い知らされている。「そういう年齢」はもう過ぎていることを。例えば片田舎の小さな会社のトラブル、誰かの決定的な悪意、自分の常識にはなかった理不尽な出来事…。そんな外的な刺激は人生の些細なことにすぎない。それを経験しただけで、成長したり、強くなったり、何か人間としての根本が揺れ動くような、「そういう年齢」ではなくなっている。哀しい。空しい。手の見た目が老けたとか、筋肉痛の治りが遅いとか、新卒の子と話しが通じないとか、そんなこととは比べ物にならない喪失感だった。


+佐用~上郡+

 喪失感。
 自身はかなり前向きな性格なのだが、こうなったらとことんダークな思考に陥るクセがあるのを経験から学んでいる。心には、いつだって潜んでいるのだ。どす黒い感情が。普段はヘラヘラしているけど、本当はずっと悪態つきたかったこと。思い出す、膿をだすように、脳をフル回転させて…聖人君主ではない自分が見ないようにしている部分を引っ張り出す。それは、いくらでもある。

 仕事で上司に怒られるのが嫌だと悩んでいながら、何かと理由をつけてロクに自分を変えようともしない若者。苦労して一丁前になっているつもりで、まだ親の扶養から抜けたこともない世間知らずな夢追い人。どれだけ自分が不幸でみじめな思いをしたか言いたくて仕方のない中年。「自分のこういうところがよくない」と自覚はあるのに改善はおろか「それを受け入れてくれる人としか付き合わない」と決めている視野の狭いヤツ。都合の悪いことは、全部自分と無関係だと思っているご都合主義人間。そうだ、SNSの声はいつだって煩せぇなぁと思う。自分の想いはすでに誰かに書かれているから、あえて自分も…とまでは思わない。でも「このタグでたくさん投稿して民意をみせよう」なんてのもあって。煩わしい、煩わしい、と思いながらスクロールがやめられない。炎上を見つけたら火元を知りたくなる自分。世界のドッキリ・ハプニング系のバラエティー番組をみると、ネタがなくなったTVの怠慢だと思ってしまう。信じられないくらい可愛い女の子が、伸びた前髪をおろして眼鏡をかけただけで「地味でブス」なヒロインを演じていると腹が立つ。

 「言いたいことは言う。だけど言うべきときに、言葉を考える。」

 これを実行していたら、ろくに愚痴をこぼすことこともできない、誰にも嫌われない、当たり障りのないことばかりいう、そんな自分が一番…
 そこまで考えて、その先は、思ってはいけないことな気がした。そこまで堕ちてはいけないよ、ともう一人の自分が引っ張り上げる。電車が止まった。もうほとんど空になった水を飲む。


+上郡~姫路+

 生産性のない自分に耐えられない。どういうことかというと、専業主婦がとことん合わない性分だ。いくら自分が家の家事一切を請け負ったとしても、パートナーだけの収入だと思うと趣味や娯楽にお金を使えなくなる。子どもがいれば変わるよ、とよく言われる。そういうことじゃない、いつかじゃなくて、今が苦しいって話をしたいのに。

 こういうとき、曲にしたり、詩にしたりする才能が欲しかった。思い当たる不平不満は出てくるが、それを一つの作品に昇華する能力もないことに絶望する。こんなどうしようもないことがあったとき、目の前のPCを開いてひたすら寿司打をするようなつまらない人間が私だ。
 どうしようもないヤツは自分じゃないのか、と思う。迷惑系動画をみて馬鹿だなと思う、それまでの存在。「こいつアホ」という他愛ない誰もが共感するであろう感想さえつぶやくことができない小心者。相手にするだけ無駄だと諦める力だけ身につけた。社会に属した、達観してるように見えて自分ではまだ何一つとして成し遂げたことがない人間。きっとたくさんいる。私もそのひとり。一番よく知っている。

 ふと、(お金がほしいな)と思う。そういえば、「酒のみてぇな~」よりも「金ほしぃ~」というほうが多くなったのはいつからだろうか。窓の外を見ると、流れる景色はいつの間にか止まっていた。

 【姫路】で降りる予定だった。ふと、列車が止まっていることに気が付いて、2号車後方にいた私は3号車の方向へ駆け出す。左右どこをみても、出口が見当たらなかった。3号車は無人で、慌ててもと来た方向へ駆け足で進むと、いつの間にか1号車の先頭で運転席が見える窓にいた。頭の中を「?」でいっぱいにしながら2号車の元いた席にいったん戻り、もう一度車両をでると、今度は出口を見つけた。安心したのもつかの間、スーパーはくとは発進した。「次は明石~明石~。」自分が降りそびれた、と気づくまでに30秒ほどかかった。


+姫路~明石+

 摩訶不思議な体験である。それまで一睡もしていなかったから、「寝ぼけていた」というよりシンプルに「ボーっとしていた」のだろう。姫路に到着していたのに気付くのが遅れ、すでに乗り降りの時間は過ぎた後、発進までの待機時間にウロウロしてしまったのかなと肩を落とす。

 Twitterを全く見ていなかった。つぶやきたくなるような面白い「降りそびれ」のはずが、まったく今の自分には笑えない。明石→姫路のルートを調べることが先決だった。

 いや、もういいや。考えるのに疲れた。
 明石でちゃんと降りよう、帰り道は、人に聞こう。

 深呼吸する。もう、十分だ。帰ろう。

 特別幸せでなくてもいいから、適度にパートナーの愚痴をいい、仕事の愚痴をいい、そんな風に生きていたい。なりたい自分とは別の自分。人に自慢できるような、明確な目標・生きがいのない自分、惰性な自分。そういうものから脱却したいけれど、幸い自分の居場所はある。そういう風に生きてきたから、それは、まだ在る。


+そのあと+

 明石につくと、スーパーはくとを降りたその場でみつけた駅員さんに「姫路へのいき方を教えてください」と聞いた。不思議そうな顔で、「こちらで…」と頭上の電光掲示板をさす。向かいのホームにくる10分後の電車は〈姫路行き〉と書いてあった。少し上を見れば気付いたはずなのに、と笑ってしまいながらお礼を言った。変な奴だと思われたかもしれない。

 無事姫路について、安心したらお腹がすいていることに気が付いた。朝から何も食べていない。喉もかわいて、頭痛がする。泣きすぎると頭が痛くなるのはいつものことで、脱水症状のようなものだとネットに書いてあった。

 新幹線の乗り場に行く前に、おにぎりとお茶を買った。こういう時、私はいつも最安値のものを買う。誰かとの外食では食べたいものを我慢しない分、一人の時は徹底して節約するのが染みついているのだ。
 おかかと、天むすにした。天むすは一番高かった。でも、今日はいいかと思った。

 ホームのベンチで座って食べる。

 (お、ちゃんと、おいしい)

 真顔でおにぎりにかじりついたが、私は心の中で大笑いしていた。なんだ、ちゃんと、おいしい。もっと食欲がなくなるとか、おいしさに感動して泣いちゃうとか、するのかと思った。
 そうか、「そういう年齢」ではない。外的な刺激は人生の些細なことにすぎない。だからそんなことで動じるような、打たれ弱い人間ではない。ちゃんともう、綺麗に大人になっている。

 「めっちゃ…う…まい…!」

 小さい声に、だしてみた。久しぶりに聞く自分の声は、ちっとも震えていない。むしろ随分と澄んでいるように感じた。私って全然まだまだ、大丈夫じゃん。

 『人間は、意外と、しぶとい』

 いつかドラマで聞いた大好きなフレーズを、心の中で反芻する。ペットボトルのお茶を一気に飲み干し、新幹線に乗り込んだ。自分の在るべき場所に帰るために。

(6599文字)

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