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自死の選択

過去に一度だけ匿名で取材させてもらった一般の方の考え方が面白くて印象的で、久しぶりにTwitter覗いてみたら1月に亡くなられていた。たった一度の取材でしかもオンラインだから対面でもないのに、Twitter上で本人の弟が代理で投稿した訃報を受けて一日中放心状態。

自死と聞くとネガティブな印象がセットでついてしまうけど、本人が自死を決断してから最期までの遺書代わりとなるツイートを見ると、妙に納得してしまった。どう考えてもこの不自由な社会で生きることは、それだけで大変なことだし、社会の奴隷となって労働した挙句限られた稼げるお金の中で自分の好きなことをやるってどう考えても難しい。意思のない人が産み落とされた先で、何とか生きることを食い止めるのは幸せでしかないはずなのに、社会と自分を繋ぎ止める幸せのバロメーターはどんどん低くなっていく現状で、自死を選ぶ人を容易に止めることもできない。生きるって何だろうね。結局、死ぬことって恐怖や痛みによって回避させられているだけで、簡単に苦しむことなく死ぬ方法があれば自死を選ぶ人は多いのかなと思う。そのくらい今の社会はサバイバルだし、少子化対策だの言うならせめて過ごしやすい社会の土台だけでも整えてほしい。そんな世の中で幸せを求めて自死を選ぶ人が増えれば、次は自死が違法(家族へのペナルティとか)となり、幸せを求める自由も奪われてしまうのかもしれない。改めて生について考えると、生きるということが能動的な文脈で捉えられがちだけど、もしかしたら生かされてるだけなのかもしれない。

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