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私がこれまで生きてきた時間は、沢山の無駄にまみれていて

グダグダしていたり
何もやる気がしなくて
ただ
無駄に過ごしてきた時間の多さに

この頃
やっと
気づいた

もっともっと
頑張りたかった
頑張ればよかった

思うこともよくある

かと言って
もっとやる気を出せば
本当に
頑張れたのかというと

多分

無理だったと想う


それなりに
頑張っていた時もあるけれど

例えば
勉強とか

これ以上ないくらいに
頑張るのを
100としたら

私の人生で一番頑張ったときでも
70とか80が
いいところかな

ぼんやりとした記憶の中で
本当はどれだけ頑張ったのかは
思い出せないけれど


40代も半ばで
残りの人生の時間を思う時
もっとやれる事が
あったんじゃないかと

焦るような
後悔するような
何とも言えない思いが
定期的に渦巻く

子どもが小さい時

我が子の育てづらさと
初めての子育てと
家事の苦手さと
元々の要領の悪さとで

この辛い日々が
果てしなく続いていくように
感じていた


それと同時に

目の前の我が子は
可愛くて
愛おしくて
いつまでも眺めていたい
と思っていた

いつまでも
この胸に抱いていたい
ずっと赤ちゃんのままの
この子を見ていたい
と思っていた


離婚する前
働かずに
子育てをさせてもらえたことは
本当にありがたかった

ただ
今 思い返すと

もっと大切に時間を使えたのではないか
無駄に過ごしてしまったんじゃないか

と言う気がしてくる


家事が苦手で要領が悪い
自分に対して
罪悪感だけは人一倍
持っていた


そういうもの全てが
ほんとうに
無駄だったのか
そうではなかったのか

それは
分からない

けれど
その時間を過ごしてきた自分を
ちょっと勿体なかったなと
思うことが増えた
この頃


私の人生は
あとどれくらい残っているのか


母を亡くし
高齢の父の背中を見る時
寂しさとともに
恐怖が襲ってくる

母は私を21の時に産んだ

21年なんて
この歳になってみると
あっという間だ

私はあと21年後
どうしているだろう
その先は?

ずっとずっと
遠い昔の出来事だと思っていた
母の物語は
本当は
そんなに昔の事ではなかったのだと
気づいたのは

まだ
少し前のこと


私は
自分の人生で
何を成してきたのか

何の手応えもなく
このまま
ただ
老いていくのか

そして
いずれ迎える
自分の死は
どんなものなのか

母と同じように
旅立つとしたら

耐えられない

あんなに強くは
死んでいけない

そんな不安が
波になって
大きく 小さく
あっちにこっちに
揺られている私

もう
無駄には過ごしたくない
そう思っても

目の前の
楽な道を選ぶ
ダメな私

全部あって
それが私だけど

もう少しだけ
成長したい気持ちは
いつも持っている



面倒なことや
地道なことを
コツコツとやる

自分に与えられたことを
喜んでやる

遠く離れた世界や
他の誰かの何かではなく
自分の手の中にあることを
一生懸命にやる

自分のいるところで
やれる限りやる


そんな人が
私の思う素敵な人

どの世界でも
極めている人はいる

一生懸命な人は輝いている

そして
一生懸命な人が
カッコイイと素直に思う


だから

自分の人生に誇りを持って
胸を張れるように


これから先
老いていく中で
キラリと光る
素敵な人になれるように

昨日の私より
今日の私の方が
ステキだねって
自分で思えるように


そしてそして

あの沢山の無駄な時間も
無駄じゃなかったねと
許せるように


過ごしていけたらなと
思う

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