僕のHSP率は10%だった
大学の友人と3人で旅行に行ったとき、1人の友人が自分はHSPらしいと、突然カミングアウトをした。
別に偏見はないし、そもそもHSPについて詳しくない。ただ、気にし過ぎてしまう、繊細な人なんだろうと思った。
そのカミングアウトの瞬間、僕の脳みそでは
「大丈夫かな。僕の何気ない一言で傷付けたりしていないだろうか。
たしかに、繊細な部分があるよな。
言い方とか、表情とか気にした方がいいかもしれない。僕に気を使う必要はないんだから。気にさせちゃダメだ。
そういえば、あの時のあの発言は大丈夫だったかな。え、やばいかな。傷付けた…?どうしよう。」
という考えが頭を巡った。
それからだ。その友人を、過去に傷つけたのでは無いかと言う不安が僕の中を巡るようになった。そのうちに、その不安は、僕は嫌われているのではないかという疑惑に変貌した。
例えば、仲のいいもう1人の友人と、2人で遊んでいるのをインスタのストーリーで見たとき。それが何回も続いたとき。僕だけが知らない話が割とあるとき。僕といる時が楽しくなさそうなとき。
僕抜きで遊ぶことなんて、もう成人している訳だし、別にいいのに、それなのにちょっとずつ辛い。
3人でいても、僕が疎外感を感じると少しずつ積もる。どうしよう。どこで間違ったのか。あの旅行までは、こんなことを感じることはなかった。
僕の何かがいけなかった。何だろう。
結局僕が嫌われているのではないかという疑惑は、大きく膨れ上がったまま、大学の卒業式を迎えた。
僕だけが大学での着付けでなかったので、朝から別行動だった。
大学で曇り空の元、1人で1時間半待ち続けて、友人たちと合流した。久しぶりに会うから、楽しみだった。今日で、頻繁に会えなくなってしまうから、別れを惜しみたかった。
HSPをカミングアウトしてくれた友人が、卒業式のあと、16時に着物を返して、ご飯に行きたいと言ったから、「行こう!」と笑った。
僕は大学着付けではないから、ご飯も袴で行かねばならなかったけど、ご飯に行けるならいいと思った。
結局15時半まで待って、雨も降り出し、ご飯に行こうと言った友人が彼氏や親やほかの友人と写真を撮ったりするのに忙しいからと、大学ホールの前で
「バイバイ!」
と言われて終わった。
なんだか、積もり積もった辛さに耐えきれずに涙が出た。
もう1人の友人は、別れに泣いているのだと勘違いして、
「泣かないで。一生会えないわけじゃないから。」と背中を摩ってくれた。
そうだ。ここで泣いて、もしそれをあの子がみたら、また気にしてしまうかもしれない。
グッと堪えた。涙で滲む彼女の背中は、二度とこちらを振り返らなかった。
実家に帰り、1人、着物を脱いで畳みながら、ボロボロ泣いた。卒業式という日に期待しすぎたのかもしれない。僕が着物のままだから、2人がご飯に行くのを遠慮してくれたのかもしれない。でも、
僕が嫌いだったからかもしれない。
最後の日が、こんなにも辛い日になるとは思わなかった。
色んな考えが、自分の過去の行いに対する考察が、ぐるぐるぐるぐる頭を駆け巡る。
これが悪かった。これがダメだった。僕がいけなかった。
考えすぎかもしれない。自分が繊細過ぎるのかも。
いや、でも、あの旅行のカミングアウトでやってみろと言われたネット診断では、
僕のHSP率は10%だった。
だから、僕のこの心配や不安は、実際に思われていることを感じているからだろう。
また、辛いが積もる音がする。
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