運との付き合い方
私は、人に物に事に良い意味で期待せずに生きていると思う。
なぜこんな考え方になったかを深掘りすると、おそらく「こうなったらいいな」「こうしたい!」と考えた時は、大抵その期待が外れる傾向にあることを、無意識のうちに経験しているからだ。
その一方で、「まあどうせ〜」「こうなったらラッキー」ぐらいに思ってた時の方がうまくいくことが多い、気がしている。
要は、傷つきたくない、感情に振り回されたくないから、期待をしない、という保険をかけておくのだろう。
このことを、意思がないとか、何かを成し遂げる信念がないとか、自己防衛にすぎないんだとか、そう言われてしまえばそこまでだ。
私だって、自分の意のままに、努力のままに、ことを成し遂げたい。強く願いたい。それが本音。私だけじゃなくて、世の中の誰だってそうだろう。
だけど、思った通りになることなんて、ほとんどないじゃん。
そう考えていた時に、ハッとするような「運」に関する考え方に出会った。
ひふみ投信代表の藤野さんという方が書道家の武田双雲さんへ「運」という字を依頼したという。藤野さんは運についてこう語っている。
わたしの考えでは、ただただ多くのことは本当に確率統計的な発生確率のもとに気まぐれに結果が出ているだけだと思っています。善行を積めば運が良くなるわけではなく、それは多くの人が邪魔をしなくなったり助けてくれるという明確なロジックがあります。
中略
よいことがあっても所詮運だと思っておごらず、悪いことがあっても所詮運だからと思って腐らずと考えています。
↓ここから大事
ただ、確率は裏切らないので、成功しやすい習慣や方法をよくよく研究し、努力をし、そして手数を重ねる(回数を増やす)ということなのではないかと考えています。確率99%のことでも1回だけやれば、失敗する1回が最初にやってくるかもしれませんが、1万回挑戦すればほぼ期待値通りの、ほぼ9900回の勝ちと100回の負けに収斂していきます。
なにがいいたいかといえば、正しい方法で全力を尽くしてやる限り、1回1回の結果にはこだわらず、より多くのバッターボックスに立つことが大事ではないかと思うのです。打率が低くてもたくさんバットを振った人が当たるわけです。野球の場合には打順があり、3回空振りをしたらアウトになりますが、ビジネスの場合は、体力がある限り、何回も振ることができます。かつ、あたったらマックス4点なのが野球ですが、100点や200点取ることができるのがビジネスです。
起こったことを全て運まかせにしてしまえば、変に奢ることも、落ち込むこともない。
だけど、確率論と捉えてその率を上げていくために力を尽くす、その考え方はなかなか面白い。(もちろん前提にある、正しい方法で、という部分もかなり重要だが。)
だからこそ、何かをやってみる、継続してみる、ということ、つまり行動することは、運とうまく付き合うための必須条件とでも言えるだろうか。
これからは、自己防衛のためにどうせ〇〇だし、などとちょっと卑屈っぽく考えるのではなく、自分が行動できたことへの評価を積み重ねて、打率をどんどん上げていこう。
…なんて考えたのも、3度目の挑戦でようやく宇多田ヒカルのチケットが今日当たったから。嬉しすぎる。
打率.333。
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