ステレオタイプが私に邪魔をした
わたしは社会人になるまでの22年間、
自分はA型だと信じて疑わずに生きてきた。
親に言われたから疑いようもなかったし、周りの人と血液型の話をすると4択のうち迷うことなく一発で当てられてたし、「几帳面そうだもんね〜」「真面目だもんね〜」とか世間一般でいうA型の性格を表す紋切り型の言葉をかけられ、まあそうだよなあ、と自分でも妙に納得していた。ありふれた血液型にちょっとつまらないなあと感じながら。
実際、自分の血液型観はというと、
・4つに人を分類できるわけがない(70%)
・でも確かに周りのAB型は変わった人多いかも(15%)
・いやでも社会心理学の先生は血液型なんて関係ないって言ってたし(10%)
・枠にハマりたい人間の深層心理だよなあ(5%)
ぐらいの考え。
しかしそんなわたしのA型としての人生がある日突然幕を閉じる。
入社後の健康診断(採血込)の結果が返却された。
名前・性別 女・血液型 AB +
ん???
血液型 AB +
え????
いや、うちの親A(AO)とO(OO)のはず…
(わたしこのうちの子じゃない…???)
いろんな考えが頭をよぎった。
何より22年間そうだと信じてる疑わなかったものがあっという間に崩れるあの感覚はなかなか体験できない。
真面目なA型のわたし
几帳面なA型のわたし
なんやそれ。笑
この時から私のAB型としての人生が始まったのである。ニューボーン。マジョリティからマイノリティに。そうだ私はAB型だ。天才と呼びたまえ(また枠にハマろうとしている)
実は不思議なことに、AB型と分かった後に周りの人とあなた〇型っぽいね〜の話をすると、あれだけ散々A型A型A型と言われてきた私が、ぱたりとA型と言われなくなった。
B?とかAB?とか。それも快感。笑
…言われなくなったということは、もしやA型の呪縛から解放されて私の振る舞いが変わったのか。
血液型の呪縛、おそろしや。
人は、枠にハマりたくないとか、縛られずに自由に生きたいとか言うけれど、結局は何かにすっぽりと包まれる、信じられるものがある、という状態が心地よくて好きなんだろうなあ。
おそらく、文字通りの血液型診断というのは科学的根拠はないのだろうけど、血液型診断でハマりに行くという行為や思考が人をタイプ分けしてるんだろうなあと思う次第です。私がそうだったように。
ということで、これからは憧れの天才変人AB型を精一杯謳歌したい。
ステレオタイプと友達になりたい。
※あとがき
おそらく最後まで読んでくれた方のなかには、中盤の「うちの親A(AO)とO(OO)のはず…」という大変意味深な一言が引っかかっている方もいらっしゃるのでは。
それはですね…実はうちの母も、言うタイミングを逃し続けて十数年。OではなくてABだったということだったらしい。私の弟を出産するときに判明したとか。
(じゃあ母の両親は?ってことになるが、まあ古い時代だしなんか間違えたんやろう〜お母さんばあちゃんに似てるから絶対娘だよ大丈夫大丈夫ってことでこの話は終わりにした。完)
いつかこのネタでエッセイ出したい。
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