見出し画像

八方塞がりとクライシス(3月13日)

金原ひとみの「パリの砂漠、東京の蜃気楼」を読んでいる。「あぁ、私一人じゃないんだ」という気持ちになると同時に「私は一人なんだ」と思う。

なにをしていても息が詰まる。
朝早いから面倒だなと思って断った友達からの誘いを断るべきじゃなかったと後悔するが、今日はどうしても本を読みたい気分だった。こうやって落ち込むために。


暖かい日が続いているので、近くの公園に足を運んでひとり本を読む。子どもたちの声がする。犬の散歩をしている人たちが挨拶している。大学を卒業したのか袴姿の女の人が梅の花の下で写真を撮っている。両家顔合わせといった風情の和装姿の一団も梅の花の下に集まっている。老夫婦なのか老々介護の母息子なのか、車椅子のおばあさんと付き添いのおじいさんが日向ぼっこをしている。


思い返せば私の人生はいつもこうやって一人でいる時は重苦しい気持ちだった。高校生のころ、電車でウエルベックの素粒子を読んで絶望的な気持ちになって虚空を眺めていた。あの頃と違うのは、絶望が物語の中から生まれたものではなくて、私の人生から生まれたものだということだ。

7、8歳の子どもたち4人が歌いながら草いじりをしている。それを尻目に私は絶望している。この先どう生きていけばいいのかわからない。

結婚したくないという気持ちが消えないが、50歳後半を迎えた時に一緒に散歩する相手が欲しい。家庭を持つことで生じる苦しみを私は知らないままでいいのか。いや、一緒に公園を散歩する相手はいつでも欲しい。男女問わないし、関係性も問わない。


クォーターライフクライシス、というものがあるそうだ。25歳くらいから30歳くらいまでの人が直面するらしい。たぶん、今の私はこのクライシスの只中にいる。どうやって大人として振る舞えばいいのか、まだ分からない。

まわりの友人が続々と(というほどでもないが……)結婚しているのに私は付き合っていた人と別れた、という、このありふれた悲しい事象と、職種を変えたことで自分のキャリアが再びゼロに戻ったことがトリガーになっているのだろう。

仕事でもライフステージが異なる人をどう慮って働けばいいのか悩み、友人関係でも同じ悩みを抱え、それでいて私は同じところをグルグル回っているような気がする。

だいたいなんなんだ、一緒に散歩する人が欲しいって。ふざけているのか。しかも、公園は指定の公園があります。有栖川公園か新宿御苑です。


はぁ、引っ越したい。風呂トイレ別の部屋に引っ越そう。家賃だって10万円くらい別に払えるのだ。初期費用だって100万円くらいかかろうが払えるのだ。そのお金がなんだっていうんだ。余裕はないが。将来なんて分からないのだから、引っ越せばいいのだ。

だいたいそう考えると別れた相手もクォーターライフクライシスなのだ。まったく。ひどい話だ。引っ越して人生について考えやがった。

どこかで縄跳びが激しく空気を引き裂く音がする。二重飛びかはやぶさでも練習しているのかな。小学生の頃、冬に縄跳びを練習していて、ビニールの綱が自分の手にピシャと当たった時の異常な痛みを思いだす。私は全くできなかったな。そんなものだ。

最後まで読んでくれてありがとう。