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雑多な日記

特にまとまった考えもないので、レンジでパスタを茹でている間に徒然なるままに日記を。


友人の結婚式

高校時代からの友人(といってもコロナ以降ほとんど会っていなかった)の結婚式に招待された。

私はそもそも冠婚葬祭など「儀式」「儀礼」が死ぬほど苦手である。儀式・儀礼の詰め合わせである式典とかいうものは、参加者にその場に相応しい振る舞いと感情を求める。
自由気ままに子供っぽい暮らしを満喫する自分は、型にはまった振る舞いが全くもってできない。失礼な行いをしないか気が気ではなく、そもそもから吐きそうである。

さらに、式典には現代にはそぐわないと思われる「儀式」も含まれるが、気持ち悪さをグッと堪えて、相応しい感情のふりをするのは骨が折れるし、無理をしているのでボロが出る。

例えば、結婚式だとバージンロードの入場の演出が苦手だ。どうして新婦だけ父親に連れられて歩かなくてはならないのか。どうして父親に連れられ、新郎に引き渡されなければならないのか。新郎も親と一緒に歩いて、そこで合流したらどうか。楽しかろう。
こういう考えがふと頭に湧き上がってしまって一気に気持ち悪くなる自分と、ウェディングドレスを纏った友人の姿に素直に「綺麗ねぇ」と思う自分と、すでに疲れ始めてヤケクソな自分と、ちゃんとしなさいよとなんとか律しようとする自分とで、脳内大論争が勃発し、側から見ればニコニコ座っているだけだが、挙式の序盤ですでに頭が痛くなり始めている。

こんな脳内大戦争を繰り広げているのは自分だけだろうと呆れ、きちんと型にハマれない自分を再度認識することで憂鬱になる。それに加えて、脳内で勝手に湧き上がってくる疑問や考えを止めることもできず、ただただ疲弊していく。

最後のお見送りには新郎新婦だけではなく両家のご両親もお揃いで、その光景がいまだ現代に残る「家」をまざまざと見せつけられているようで、「家族」というものがこれまた苦手な自分は精神的に限界に近く、挙動不審のまま退出した。

家に帰ってきて、結婚式用の装備を外し、いただいた引き出物を片付けてホッと一息ついたところで、やっとお祝いの気持ちが湧いてきた。
最後に会った時は仕事で忙しそうにしていたので元気かしらと思っていたけれど、この先も健康で、そして、彼女にとって幸せな人生であればいいと願う。


髪を切る

この2年ほど伸ばしていた髪を切った。
理由は「コロナ前の日常が戻ってきて外出の機会が増えると、長い髪は暑苦しいし邪魔」というものである。

前髪も少しブリーチをしてカラーを入れてもらった。
なんだか髪型だけK-POPアイドルみたいだ、と面白がっている。


マネーフォワード

マネーフォワードMEという家計簿サービスを長いこと使っている。
(有難いことに)ずっと無料で使っていたのだが、この度サービスの改定があり、有料プランに切り替えた。

有料プランにすると、数年前のデータも遡って確認できるようになる。暇だったので、働き始めた頃のデータを見てみた。非常に貧しかった。よくこの手取りで暮らしていたものだと思う。

今も月に5回は「お金がない」と感じているので、自分の体感では収入にまつわる苦悩は改善してはいないと感じるし、貯蓄の無さに将来の不安ばかりが募るが、それでも、私の年収くらいで結婚し、子どもを持つ人もいる。不思議なことだ。

私は贅沢なのだろう。


友人との会話

午後三時、タバコの煙が濛々とする喫茶店で友人とケーキを食べた。

彼女は気の置けない友人なので、祝いたい気持ちはあれど結婚式が苦手だという冒頭の話をつらつらしていた。逆に彼女は「そういったハレの場で、決まった様式があることに安心する」と言っていた。
確かにその通りだと、ひらけた気持ちがした。オリジナルにハレを演出する場というのも、よくわからないままに巻き込まれた参加者は疲れるだろう。(私は引き続き儀式は苦手だと思うが……)


その後、彼女が「男性に奢られるのが苦手だ」という話をしていた。私も心底苦手なので、「わかる〜〜」とケーキをつついた。我々は奢られるとなぜ微妙な心持ちになるのか、特に結論は出なかった。

暇なので、今、この件について適当に仮説を考えてみる。

私の場合は、男性に対してコンプレックスがあったからだと思う。何度も「私が男だったらよかったのに」と憎しみを心に抱きながら大人になった。男だったら、もっと楽に生きられたと。

世の中は「どうせ女だから」という目で見てくる。
そういう時、「女だから」に負けたくない、私は人間なのだ、とムッとしながら生きてきた。

(この「男だったらよかったのに」という解決策は全くの見当違いであり、男だろうが女だろうが何だろうが当人のストレスなく生きれる社会を実現するのが良かろう、と今は思っている。とはいえ、刻み込まれた嫌悪はそう簡単に消えるものでもない)

私の観測している範囲では、男性が男性に対して特に理由もなく奢り続けるということはない。ということは、男性に奢られる場合、なぜ奢られたのかというと「女である」という条件で奢られたのだ。私は。
「女だから」というだけで。ここが私の暗い憎しみに火を灯すのだと思う。なんにせよ、「女だから」という理由はどういう表出の仕方であれ、(私にとっては)嬉しいものではない。

また、これは奢られること自体ではなく、男性の性格に依存するのだが、「奢ってやった」が顔に出ている場合も憎たらしい。勝手にお金を出しておいて、こちらの様子を伺うなんてナンセンスだ。どうした。下手に出て、可愛く喜んでほしいか。面倒くさくて嫌になるので、自分で支払わせてほしい。

まとめると、「女だから」というこちらの人間性を完全に無視した理由だけでアクションを起こされたくないということと、「お金を支払ってあげる」という行為で作られる借り(上下関係かもしれない)が面倒臭い、というのが「奢られたくない理由」の二大原因ではないか。

徹頭徹尾可愛げのない話であるが、こちらにもこれまでの人生からくる感情やら都合やらがあるのだ。
(ただ、他の女性が「奢られる」ことに対してどう思っているのかは知らないし、奢られて当たり前と考える女性もいると思うので、親しくない女性に対して男性の取る最初の一手は「いいよ、奢るよ」乃至「もう払っておいたから」に残念ながら落ち着くのであろう。仕方のないことだ)


とはいえ、奢られても全く不快ではない相手もいた。以前のパートナーには奢られても嫌な気持ちがしなかったし、相手の懐にお金をねじ込んだこともない。

この人の場合は、どうも私が食事をしていることが純粋に相手の喜びらしいので、奢られても嫌な気はしなかった。
私は元々食が細い(食べることに興味が薄い)のだが、相手にとっては「放っておくと何も食べない人間が、何かを食べて生きている」ということが、嬉しかったらしい。
そういうわけで、この人の前では可愛げのない嫌味なプライドも溶けて、相手の与えてくれた食べ物を、黙々と有り難がって食べていたのだった。

最後まで読んでくれてありがとう。